文学ファイター

今年一年ガルニモを読んでいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

2017年が終わるので何か書きたい

2017年が終わるので、今年最後の記事として記念に何か書きたい。

世界的に有名な哲学者、スヌーピーさんはこんな事を言っている。「人生は配られたカードで勝負するしか無いのさ」。

この文章を読んでいる皆さんも、それぞれ配られたカードで人生を勝負していることでしょう。そして中にはいるでしょう。「自分に配られたカードがクソみたいなやつばかりで、人生を戦いようが無い」という人が。

私も学生の頃は自分に配られたカードに絶望していました。「内気」「おとなしい」「マジメ」「我慢強い」「コミュニケーション能力が低い」「空気が読めない」。正直、これらのカードで戦いようがなくない?って思っていました。しかも、親の仕事の関係で定期的に「転校」イベントが発生するし。「内気」で「おとなしい」「コミュニケーション能力が低い」子が転校イベントを攻略するとか無理やがな。死ぬがな。

多分、私は私に配られたカードでの人生の戦い方がようやく分かってきたのは26歳か27歳くらいの頃でした。だから、今学生で、自分の手持ちのカードがクソみたいなやつばかりで人生に絶望している子がいるかもしれないけど、実はカード自体がクソなのではなく、あなたはまだ手持ちのカードでの戦い方が分かっていないだけかもしれない。

私は学生の頃は今よりも内気で、内気であることにコンプレックスを抱いていました。人見知りをしない子が羨ましかったです。上で私の人生に配られたカードを紹介しましたが、配られたカードのひとつひとつをよく見ると、カード自体が悪いわけではない。「おとなしい」ことが悪いことではないし、「マジメ」であることが悪いことではない。ようは、どういう状況でどうカードを使うかが大事なのでしょう。

ただし、使い方が難しいカードっていうのは確かにあります。例えば「我慢強い」っていうカードは取扱が難しいカードだと思う。今この文章を読んでいる「我慢強い」カードを持っている人も「私は我慢強くなければよかった」って思っている人がそこそこいると思う。なぜ「我慢強い」の扱いが難しいのか。なぜなら、「我慢強い」は「自分が生きたい人生」を我慢して「他人に言われるがままの人生」を送ってしまう可能性がそこそこある諸刃のカードだからです。素人にはオススメできない。

でも、この「我慢強い」を他人の利益のためではなく自分の利益のために使えるようになれば、そこそこ使えるカードになります。なんせ日本は「時期が来るまで我慢した」徳川家康が天下を取った国ですし。「我慢強い」が配られている皆さんも、そのカードの取扱が難しいことを自覚して、他人の利益のためにそのカードを使うのではなく、自分の利益のためにそのカードを使えるよう努力してみてください。

皆さんの中には「手持ちのカードは今持っているのが全てで、人生の中で増えたり減ったりすることはないのだろう」と誤解している人もいるかもしれませんが、実は手持ちのカードは増えたり減ったりします。

私も大学一年生の頃に「病気」イベントを攻略した結果、「ワガママ」カードを手に入れました。ほんとマジでこのカード使える。「ワガママ」カードを手に入れてからの人生のほうが生きやすいし。なんで世の中で「ワガママ」の重要性があまり認識されていないのか意味がわからない。多分、殆どの人が最初から持っている基本カードだから、このカードの重要性が認識できないんだろうな。もし私が子供の頃からこのカードを持っていたら、もっと学生時代が楽だっただろうに。今この文章を読んでいる人の中に、もし「ワガママ」カードを持っていない人がいたら、今とても生きるのが辛いと思う。だから、そういう人は意識的にワガママを言えるよう努力したほうが良い。

私があまり働きたくないことに関して。

正直、私だけでなくこの文章を読んでいる人の中にも働きたくないと思っている人はいるでしょう。ただ、私はマジで働きたくないので、最終的にお金持ちになって働かなくても生きていけるように結構なリスクを取っているのに対して、「働きたくないけど、働かずに生きていけるなんて現実的に考えて無理だろう」と考えて、実際には何も行動していない人もいるでしょう。

正直言うと、私も最初から「お金持ちになることは現実的な方法である」と思っていたわけではない。でも、今学生の方なら同意してくれると思うけど、私にとっては「お金持ちになること」が非現実的なことと同じくらいに、「定年退職まで40年間くらい働き続けること」が非現実的でした。両方非現実的だけど、どっちを選ぶ?って言われたら、私はお金持ちになる方を選ぶよ。私は「お金持ちになる」と決めた後に、ずっとお金持ちになることを諦めたことはないです。なぜなら、諦めた途端に「定年退職まで40年間くらい働き続ける」という非現実的なことが現実になってしまうからです。なにそれ怖い。

多分、普通の人は学生から社会人になる時に「まず生きねば」を起点とするのでしょう。「まず生きねば」→「生きるためにはお金を稼がねば」→「お金を稼ぐためには働かなければ」ということで、労働を中心に人生を設計するのでしょう。

それに対して私の場合は「そもそも人間の生きる意味ってなんだろう?」を起点としました。「生きる意味ってなんだろう?」→「少なくとも労働するために生まれたわけがない」→「働かなくても生きていける人生を模索しよう」ってなったわけです。つまり、哲学をすると人間はロクな大人にならないということです。気をつけろ。

ところで、私は趣味で哲学の本を買って読んだりする程度ですが、ガチで哲学に興味がある人は、大学の哲学科などに進んだりするのでしょう。私が自分で考えた人間が生きる意味は「人間は思い出を作るために生まれた」なので、特に積極的に自殺する理由はないですが、大学の哲学科に入るような人は、自殺する人がそこそこいるそうです。

私のような素人がほんわか哲学したのではなく、ガチで哲学が好きな人がガチで哲学を勉強した結果自殺するということは、きっと私達が生きる理由は、つきつめて考えると特に無く、自殺しても良いのでしょう。

この世界の世界線の話。

バタフライエフェクトという言葉を知っていますか?「ある一羽の蝶の羽ばたきが、やがてアメリカ大陸で巨大な竜巻となる」みたいなことから生まれた言葉で、「ごく小さな変化が、やがて大きな変化となる」みたいな意味です。

たぶん、本来の世界線では、私はとっくに死んでいると思う。では、なぜこの世界の世界線では私は生きており、趣味でこんなサイトをやっているのか。きっと、この世界で重要な人物である誰かが、どこかで大事な選択肢を間違えたのでしょう。そして、それのバタフライエフェクトとして、本来死ぬはずだった私が生きているのでしょう。そして、このバタフライエフェクトは、もちろん私の運命を狂わせただけでなく、世界中のあらゆる運命を狂わせており、この文章を読んでいるあなたの運命も、すでに狂わせているか、もしくはこれから先、本来とは別の運命を歩ませることでしょう。

つまり、今の私達の世界線は、数ある世界線のなかでも決して重要な世界線などでは無く、予備の予備の予備の予備……、198372938238089532532番目くらいに大事な世界線なのでしょう。それが私達の住む世界です。

例えば、私達の世界線が重要度の高い世界線であれば、私達は確かにマジメに生きるべきでしょう。正義のために戦い、平和を守り、愛の重要さを叫ぶべきでしょう。でも、私達の世界は予備の予備の予備の予備。神様もたまにチラ見するくらいです。だからあんまりマジメに人生考えなくても大丈夫です。

もっと適当に生きようよ。

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