文学ファイター

自己主張しないと好きに生きられない。

ワガママ

「俺、会社を辞めてプロブロガーになるよ」って親父に言ったら殴られたので言いました。
「殴ったね!?親父にもぶたれたこと無いのに!!」

ワガママの話。皆さんはワガママを言いますか?頑固に自分の意見を押し通したりしますか?私は昔、ほとんどワガママを言わない子でした。また、自らそうあろうとしていました。

「ここで待っていて」と言われたら、私は基本的にそこから一歩も動かずに待っていました。一歩でも動いたら死ぬくらいに思っていました。

停電が起こって部屋が暗くなったときに「危ないから動かないでね」と言われたら、私は動きを停止させていました。一ミリでも動いたら、見えないレーザーで宇宙人に焼き殺されると思っていました。

というか、基本的に幼いころは自分を押し殺していました。私は生まれながらに侍でした。自分の感情も押し殺していました。自分の感情を他人に知られるのが嫌でした。極力笑わないようにすらしていました。

私がちゃんと親の前で声を出してはっきりと笑ったのは、幼児時代にTVで「8時だよ全員集合」のカトちゃんケンちゃんを見たときでした。その時、私の後ろで母親と父親が「あ、笑うんだ……」と話していました。ほっとした様子でした。それくらいに感情を押し殺していました。それを突破したカトちゃんケンちゃんはすげぇ。

いや、でも小学生くらいではちゃんと友達と遊んで笑っていた記憶もあるので、生まれた直後の数年がちょっと変だった……つまり、生まれながらに侍だっただけで、その後は常識を学習して普通に生活できていました。

ただ、生まれながらに侍だったので、基本的にワガママは言いませんでした。自分の意見をできるだけ主張しないように生きていました。周りに流されて生きていましたし、自分の意見を主張することによって生じる対立や責任が嫌でした。

なので私は不幸でした。何一つ自分の好きに生きられませんでした。当然です。誰にも「自分はこうしたい」という話をしていないので、誰にも私が本当はどうしたいかが分かる訳ないのです。

私は大学生の頃に性格を変えました。大学デビューとかじゃないです。大学堕落です。真面目に生きるのをやめようと思ってやめました。この頃は「一ミクロもストレスを貯めたくない症候群」でした。もう一切ストレスを溜める生き方は嫌でした。ここで性格を変えないと、私は一生不幸だと思いました。

この頃、基本的に一切他人と関わらなかったので、私の心は大変平穏でした。わざわざ他人とコミニュケーションをとらずとも、好きに生きられました。

その後、専門学校へ進みましたが、前に座っている席の方が貧乏ゆすりをしており、大変シャクにさわりました。昔の私なら文句を言わず我慢していましたが、この頃の私は「一ミクロもストレスを貯めたくない症候群」でした。一ミクロもストレスを溜めないためには、他人とも殴り合う覚悟でした。よって、殴り合う覚悟で注意したところ、前の席の方は、意外と素直に注意を受け入れてくれました。

私が自己主張をしたおかげで、私は無事にストレス無い状況を作れました。

私は、今でも出来るだけストレス無く生きていきたいと思っていますし、その為にできるだけあらゆる手段を取ろうとしています。ワガママも言います。言いまくります。なぜなら、ワガママを言わないと、他人は私が一体どうしたいのか分からないからです。

私は、ワガママを言うときは基本的にその人と殴り合う覚悟でワガママを言います。でも、ケンカは弱いです。運動神経の良い小学4年生と本気で殴り合うと良い勝負になる、くらいの運動神経だと思います。それくらい弱いです。私は、殴り合って負ける覚悟で、ワガママを言います。

「いやいや、ワガママ言うのにそこまで覚悟いらねぇよ」と思う方もいるかもしれませんが、私はワガママを言い慣れていません。生まれてきて人生のほとんどを自己主張せずに生きてきたので、自己主張することによってどんな恐ろしいことが起こるのかとビクビクしてしまいます。

でも、ワガママを言わないと、まったく好きに生きられません。なので、私はしょっちゅう殴り合う覚悟をしています。

で、実は日本にはワガママを言えずに不幸を生きている人が多いのではないかと思っています。

「大人らしい」とかいて「おとなしい(大人しい)」とはよく言ったもので、日本には自己主張しないことを善とする文化があります。そうなんです。大人しいは日本文化なのです。でも、この生き方って正直苦しく無いですか?

日本では心の病が問題になっていますが、これは全て「大人しいは善、ワガママは悪」という風潮があるせいだと思うんですよ。

みんな自己主張しないのです。おとなしいは善だから。そして、みんな好きに生きられないのです。だってその人自身が「自分はこういう生き方をしたい」と誰にも言わないから。そして、大人しい皆さんは思うのです。「自分は正しい生き方をしているのに、なんでこんなに不幸なんだ」。

私がもし大学時代に性格を変えなかったらと思うと、今でもぞっとします。もしあの性格のまま生きていたら、私はきっと"自分が生きていきたい人生"ではなく、"社会的にそうであるのが望ましい人生"を送ろうとしてしまったことでしょう。すなわち、良い学校を出て、良い会社に入り、結婚をして、家を買い、子供を育て――みたいな人生です。

でも、私の元々の能力が低いので、現実には「こういう生き方をしなければ!」と思いつつ、その生き方をできずに、勝手にストレスを溜めて自滅していたことでしょう。

私が生きていきたい人生を考えてみたのですが「極力働きたくない。給料は安くていいから、時間が欲しい。のんびり生きていきたい。というか、できれば働きたくない」です。

で、私のもっとも理想とする生き方「できれば働きたくない」のために、私はせっせと貯金しています。定年退職とか待ってられない。今すぐやめたい。

貯金だけで会社をやめて生きていけるほどお金を貯められるわけもないので、株式投資とか不動産投資とかの本も買いまくりました。起業は無理です。自己主張初心者の私には起業は無理だと悟りました。

株式投資と不動産投資は、まだ私の得意分野であるガリ勉がある程度通用する世界です。ガリガリ勉強してます。お金持ちになりたいからじゃないです。働かずにのんびり生きていきたいからです。

私が大人しい人間のままだったら、「働きたくない」とか考えもしなかったでしょう。「働きたくない」は"社会的に理想とされる生き方"の範囲に無いからです。

私が会社に「辞めたい」と言った(説得されちゃったけど)のは、皆さんから見れば「ダメ人間だなー」と思われるエピソードかもしれませんが、私自身にとっては「あぁ、私はちゃんと成長しているな」というエピソードです。ちゃんと学生時代と変わらず自己主張できてる。ワガママを言えてる。昔の私だったら、どんなに会社が嫌でも、絶対に辞めるとは言えなかった。

なので、私は今後も皆さんにまったく面白くない「会社辞めたい」っていう話を記事に書いて、来年くらいにもう一度会社に「辞める」ってワガママ言って、今度こそ本当に会社辞めようと思う。

あと「うちの子、大人しくて手がかからなくて助かる」っていう人は、自分の子供にワガママを言う練習をさせないと、その子は幸せに生きられないかもしれない。

「まずい!確かに俺、昔から『大人しい子』って言われてて、今でも自己主張できない」って言う人は自己主張する練習をしないと、幸せに生きられないかも。

「我慢強い子は我慢できない子よりも、大人になってから給料の高い仕事につく割合が高い」っていう研究結果があるらしいけど、給料が高い仕事につくことと、その人自身が幸せを感じた人生を送られるかは別だと思う。

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