文学ファイター

活動範囲は広がりましたが、世界は小さくなりました。

現実世界モブキャラクターにみる世界の広大さ

あんまり誰も共感してくれない話をします。

ゲームに登場する、名前が無くて、ストーリーにもまったく関わってこないキャラクター。もしくは、マンガなどで背景にかかれている、本当に通りすがりのキャラクター。こういうキャラクターのことをモブキャラクターというそうです。

現実世界で言えば、街を歩いている途中にすれ違う知らない人。電車の中でたまたま隣に座った知らない人。彼らは私にとってのモブキャラクターです。逆に、彼らからすれば私がモブキャラクターです。

幼い頃、おばあちゃんの家は、車で20分ほど離れた場所にありました。当時私は小学校一年生。車で20分の距離といえば、私にとっては果てしなく遠い距離でした。

で、車に乗っておばあちゃんの家に行く途中、窓から外の風景をぼーっと眺めたりする訳です。そうすると、たまにランドセルを背負って歩いている自分と同じくらいの歳の子がいるわけです。そういうのを見ると、私はいつも不思議な感覚に襲われました。

この子は当然自分とは違う小学校に通っている。きっと彼は私が見たことのない小学校で勉強したり自分が見たことのない校庭で遊んだりしているんだろうな。きっと、彼にも私と同じように小学校の友達とか、好きな人とかいるんだろうな。そしてたまに先生に怒られたり褒められたりしてるんだろうな。彼にも私みたいに兄弟、姉妹がいたりするのだろうか。彼にもきっと私と同じようにお父さんとお母さんがいるんだろうな。そして、おじいちゃんとおばあちゃんもいるんだろう。彼も、私と同じようにおじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びに行って、動物園につれていってもらったり、魚釣りに連れて行ってもらったりするんだろうか。彼とはきっと、今私が見かけたこの瞬間でしか会えず、もうきっと一生会うことはないんだろうな。それでも、彼は私の知らないところで彼の生活を続けていくんだろうな。すごいなー。そして、彼に限らず、この車の窓から見える、あのおじさんもおばさんも、女の子も男の子も、お姉さんもお兄さんも私とまったく関係ない所で彼らの生活を続けるんだろうなー。すごいな世界。

と思ってました。私は、彼という通りすがりのモブキャラクターを通じて、モブキャラクターの人生を思い、世界の広大さに思いを馳せてワクワクしていました。

「ここらへん住宅街なさそうなのに犬連れて散歩してるおじさんがいるぞ!?どこに住んでるんだこのおじさん」とか想像して楽しんでました。

まぁでも、良くこういう想像を始めるのは、自分と同年齢のランドセルを背負った子を見たときが多かったです。

さて、時を経て現在私は20代後半の年齢。小学生の当時よりも活動範囲は増えましたが、まったく世界の広大さを感じることはなくなりました。基本、会社と家の往復です。つまらない人生ですね。そしてなぜか、通りすがりのモブキャラクターな人々を見ても、彼らの人生に思いを馳せることは無くなりました。なぜでしょう。

それはきっと、もう彼らの人生を想像できるほどに彼らと同じような人生を歩んでいないから、彼らの人生を想像できないからだと思います。

小学生の頃は、通りすがりの小学生と一応の「小学校に通っている」という共通体験があります。多分、体育やったり国語やったり道徳やったりしてるんだろうなー、くらいの想像は出来ます。

でも、社会人になってしまうと、もう自分と同じくらいの年齢の人が何をしているのかさっぱり分かりません。街ですれ違うスーツを着た彼らは、一体どんな仕事をしているのか、結婚しているのか、そもそも同年齢かどうかすらさっぱりです。

私はきっとこうやって想像力が欠如していき、つまらない大人になっていくのでしょう。

ところで、私が住んでいる家の近くに、大きな道路があって、車が結構走っています。

私は犬の散歩でたまにその道路の脇を歩くのですが、その時は「きっとこの道路を走っている車の中に、私と同じようにモブキャラクターの人生に思いを馳せる子もいるんだろうな。そして、きっと犬をつれて散歩している私を見て『住宅街がこの辺に無さそうなのに、このおじさん、一体どこに住んでるんだ!?』と想像して楽しんでる子もいるんだろうな。一見このまわりには住宅街がないように見えるかもしれないけど、この道路のちょっと細い道を行けば、普通に住宅街が広がっているのだよ。ふっふっふ……」とか思ってニヤニヤしています。

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