文学ファイター

会社辞めたい。

なんでこんなことしてるんだろう

先々週くらいにボーナスの面接が合った。話の流れによっては「会社辞めます」って言おうと思ったけど、そういう話の流れにはならなかった。

私の中では35歳くらいでやめようと思ってるんだけど、最近「本当に35歳まで務めるの?辞めたいならさっさとやめたほうがよくない?」っていう気持ちが高ぶっている。35歳まで、あと2、3年。つまり私は人生の2、3年を無意味に消費することを人生設計で立ててるんだけど、2、3年って無意味に消費して良い年数だろうか。大人になった今、あたかも2年や3年はそれほどでもないような錯覚を持っているけども、2年、3年っていったら、2歳や3歳の子供にとっては人生の全てだ。もう言葉喋り始めてる年齢だ。人間が生まれてから言葉を喋り始めるまでの年数分を無為に消費していいんだろうか。

私達大人は長く生きたせいで、「時間はいくらでも存在して、無駄遣いしても良い」と錯覚しているけど、それは合っているんだろうか。子供の頃は、一年っていうのは永遠に近い期間だった。子供にとっての永遠に近い一年を、大人になってから無駄遣いしても良くなるっていうのはなにか間違ってるんじゃないだろうか。しかも30代前半の数年って結構重要で、大事に使用しないといけないところなんじゃないだろうか。

「顕示的消費」という言葉がある。必ずしも生活に必要はないが、他人に見せびらかすために行う消費のことである。例えば、ブランド商品を買ったり、高級住宅街で家を買ったり……。

私は最近自分が「顕示的人生」を歩んでいることに気づきつつある。「見せびらかすための人生」という意味ではなく「私はまともな人生を歩んでいますよ。だから私自身はまともな人間ですよ」と他人に言い訳をするための人生だ。

例えば私が、そもそも35歳で会社をやめると人生設計をしているのは、今すぐ会社辞めてぷらぷら生きていくには、まだ貯金が足りないと(少なくとも私は)思っているからだ。「私は今すぐ会社をやめるほど無知ではないですよ。ちゃんと人生設計をしていますよ。だから少なくとも35歳まではやめませんよ。私はまともな人間ですよ」と言い訳しているのだ。誰かに向けて。

私は一時、普通じゃない人生に道を外れそうになったことがあり、その後、なんとか努力して普通の人生に戻った。そして分かった。普通じゃない人生にも確かにリスクはあるけど、普通の人生にもリスクがある。普通の人生に存在するリスクは「私はまともな人間で、まともな人生を歩んでいます」という言い訳の人生を無意識に行ってしまうことだ。多分、普通の人生を歩んでいて生きることが辛い人は、この言い訳の人生に疲れているのだと思う。つまり、無意識では普通ではない人生を歩みたいと思っているんだと思う。

普通の人生を歩んでいると、普通じゃない人生に変えたいと思っても、無意識でものすごいプレッシャーがある。容易に「普通の人生」を踏み外せない。しかも、一旦「普通の人生」を踏み外すと、その後「普通の人生」に戻りたくなっても、そう簡単には戻れないだろう。

私は自分の人生を歩んでいるのに、なんで自分の人生を誰かに言い訳しないといけないんだろう。

「普通の人生を送らないと、まともな人間だと思ってくれないよ」
なんで周りの人に「まともな人間だ」と思われないといけないんだろう。なんで自分の人生を他人の価値観に合わせないといけないんだろう。

「尊敬されるような人間になれないよ」
なんで他人に尊敬されないといけないんだろう。なんで自分の存在価値が他人に尊敬されるかされないかで決まるんだろう。

人間は社会性の動物で、他者とコミュニケーションをとりつつ生きていかなければならない。だから「私はまともな人間ですよ」と他人にアピールしながら生きることも、人間の本能の一種なのでしょう。

しかし時代は21世紀。本能の言うことを聞かなくてもそこそこ生きていける時代。本能の言うことを聞かずに「私はまともな人間です」とアピールせずに生きていっても良いんじゃないだろうか。

「私はまともな人間です」と言い訳するために、子供世界の「永遠」を2回も3回も無駄に消費して良いんだろうか。

なんでやりたくもない仕事をあと2、3年しないといけないんだろう。しかも、その後やめると決めているのに。

私はなんでこんなことしてるんだろう。

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