文学ファイター

正直、このタイトルは文章の内容とちょっぴりずれてるかも。

人生の目的・生きる意味

人生の目的や生きる意味を突然語り出すのは、怪しい新興宗教によくある話です。でも大丈夫。私も将来的に怪しい新興宗教を開いて、あなたから無意味にお金を強奪するつもりなので、この文章を読んで安心して私に洗脳されてほしい。人生の目的とは?生きる意味とは?私はこの説を唱えたい。

「終わり良ければ全て良し説」

私は学生時代は大変生きづらかった。毎日必死でした。でも社会人になった今、少なくとも学生時代よりは生きるのが辛くない。なぜなら学生時代よりは理不尽なことがないからだ。で、今、学生時代を思い出して何を思うかっていうと何も思わない。っていうか学生時代のことを忘れつつある。そう。典型的な「喉元過ぎれば熱さを忘れる」である。つまり、昔何か嫌なことがあったとしても、今がそこそこいい感じなら、昔のことなんかどうでも良くなるのではないか。そして、これは人生全てにおいても同じではないだろうか。人間は例えどんな人生を送ろうと、最終的に死ぬ。つまり、人生のゴールは死ぬことだ。じゃあ、死ぬときに「良い感じに死ぬ」ことができれば、それは正解な人生だったと言えるのではないだろうか。

例えば、人生がどんなに辛いものだったとしても、死ぬときに「まあ人生そこそこ良かったわ」って自分で思うことができれば、それは良い人生だったのでは。逆に、人生がどんなに素晴らしいものだったとしても、死ぬときに「私、生き方を間違ったわ」って思ったなら、それは悪い人生だったのでは。

ということは「正解の人生」というものを考えるときは、まず「どんな感じで死にたいか」を考えれば良いのではないだろうか。

まず「こんな感じには死にたくないな」っていうのを考えてみよう。例えば首吊り自殺とか。首吊り死体って、首が気持ち悪いほど伸びて、しかも体中の液体という液体がすべて体の外に溢れでた状態で死ぬらしい。つまり、鼻水、涙、おしっこ、うんちを垂れ流した状態で死ぬらしい。ということは、どう考えても首吊りは嫌だよね。

高いところからの飛び降り自殺は?あれって、もし高いところから飛び降りて、足から着地した場合、腰から下が粉々に砕け散るけど、上半身は綺麗なまま死んだりするらしい。そんな死体で死ぬの嫌じゃない?

電車への飛び込み自殺とかは?あれは、正直ガチで体がバラバラになるらしい。しかもこれは結構他人に迷惑をかける死に方だし。この死に方も嫌だよね。

っていうか基本的に自殺は嫌だよね。っていうことはとりあえず自殺は不正解だ。

他には孤独死も嫌だよね。いや、死んだ直後は綺麗だろうけど、その後、体にウジが湧いた状態とか、半分腐った状態で発見されるんでしょ?じゃあ、孤独死も不正解だ。

あと、誰かに殺されるのも嫌だよね。じゃあ、殺されるのも不正解だ。というわけで――

まず、この3つは不正解なわけだ。多分、この文章を読んでる人のほとんどが「当然じゃん。こんな死に方で死ぬわけ無いじゃん」って思ってると思う。

でも、中には「え?マジで?自殺しちゃダメなの?自殺したいんだけど!」とか「え?孤独死ダメなの?友達も彼女もいないからこのままだと孤独死するんだけど!」とか「え?殺されちゃダメなの?正直、他人の恨みを買いまくってるから殺される可能性もあるんだけど!」って人もいるでしょう。ちなみに私も今の生き方をそのまま続けると孤独死しそうです。

でも、自殺しそうな人も、孤独死しそうな人も、殺されそうな人も、まだこの運命は確定していないじゃん?だってまだ死んでいないんだもの。なので、ひとまずこれから、この死に方を回避する生き方を模索するのが第一だと思う。自殺しそうな人は、辛いところから逃げればいいし、孤独死しそうな人は友達作るか彼氏・彼女を作れるよう努力すればいいし、殺されそうな人は、恨みを買わないような生き方に変えれば良いのだ。

次に、どんな感じで死にたいかを考えてみよう。例えば私はなんとなく、自宅で家族に見守られながらベッドの上で老衰で死にたい。ということは、少なくとも私は生きている間に誰かと結婚したほうが良い。だって家族に見守られながら死にたいから。あと、家を購入したほうが良い。だって自宅で死にたいから。あと、基本的には健康に気をつけたほうが良い。だって、病気で死ぬんじゃなくて老衰で死にたいから。病気で苦しみながら死ぬとか嫌だわー。

というように、死に方を決めると、生きているうちに何をしておいたほうが良いかがいくつか決まる。ちなみに、上は私の例であって、例えば「人生で結婚はしたくないけど孤独死も嫌だなー」って人は「じゃあ、老後にグループホームに入って友達を作って、友達に見守られながら死ぬことにしよう。っていうことは、私の人生で自宅の購入は必須ではないわけだ。でも、グループホームに入所するため、ある程度のお金を老後に向けて蓄えておかないといけないわけだ」みたいになると思う。

私が今まで聞いた、実際に死んだ人が残した遺言で、今でも覚えている遺言が2つある。ひとつは、二人で一緒に自殺した女子中学生たちが手紙に残した遺言。

"人生に悔いなし"

もうひとつはバブル時代に死んだ老人が残した言葉。

"あー面白かった"

この遺言2つとも私が子供の頃にニュースで聞いた言葉だけど、今でも覚えているっていうことは私の人生観にそこそこ影響を及ぼしていると思う。で、なんでこの2つを未だに忘れずに覚えているかっていうと、人生の最低合格点と最高合格点を表した言葉だからだと思う。

人生、最低でも"悔いなく"死にたいし、理想的には"あー面白かった"っていう人生を送りたい。

で、最低でも「悔い無く」死にたいし、最高で「面白かった」って言って死ぬためにはどう人生を送ればいいか。ここからが、皆さん個々人で異なると思う。「悔い無く死ぬためには、少なくとも生きているうちにあれをしておかないと」「"あー面白かった"っていう風に死ぬには、生きている間にあれをしたいな」っていうことが、皆さんあるでしょう。そのように生きるがいいさ!

ちなみに、実際には死にゆく人のほとんどが何かしらを後悔しながら死ぬらしい。何を後悔しながら死ぬか。死ぬ時の後悔ランキングトップ5が以下。

  1. 人の期待に応える人生ではなく、自分に正直に生きる勇気が欲しかった
  2. あんなに働かなければよかった
  3. 勇気をだして自分の気持ちを伝えればよかった
  4. 友達とつきあい続ければよかった
  5. 自分が幸せになるのを許せばよかった

いいですか?生きている間に少なくとも上のトップ5はクリアしなよ?いかに死ぬかを考えると、いかに生きるかを考えるのに繋がるのだ。

というわけで、「『人生の目的』は『良い感じに死ぬこと』」っていう説を考えた私は、早速自分と同じ結論に達した人がいないかどうか、"人生の目的"っていう検索キーワードでグーグルの1ページ目だけチェックしたね。2ページ目以降は面倒くさいからチェックしていない。

そしたら最初仏教のサイトがヒットしてね。中をチェックしてみたね。一ページ目は「人生の目的を持つのが大切」って話で、二ページ目も「人生の目的を持つのが大切」って話で、三ページ目も「人生の目的を持つのが大切」って話で、なんか一向に「人生の目的は『これ』です」って話が出てこないのよ。

私の最近の……っていうかここ数年の心の中のクチグセが「はいはい。ちんこちんこ。」なのよ。で、このサイト見てると、正直二ページ目くらいから心の中で「はいはい。ちんこちんこ。はいはい。ちんこちんこ」って唱えだしたんだけど。あれだよねもう正直4ページ目くらいからはずっと「はいはい。ちんこちんこ。はいはい。ちんこちんこ。はいはい。ちんこちんこ。はいはい。ちんこちんこ。はいはい。ちんこちんこ……」私は仏教のサイトを見るのをやめた。

で、他の一ページ目に表示されるサイトは皆「人間はなにかしらの使命を持って生まれたはずなので、その使命を見つけてその使命に人生を捧げなさい」っていうやつだった。ただ、個人的には私は「人生は使命を果たす為にある」派じゃなくて「人生は楽しむためにある」派だから、皆と意見あわないな……。

ちなみに、世の中の偉そうな人が皆「人生とはこういうものだ」とか「生きる意味はこうだ」とか偉そうに話してるけど、皆冷静に考えてみてね。その人、偉そうに話してるけど「総人生回数1回」だよ?自分一人の人生しか経験したことのない人だよ?例えば100回くらい生まれ変わって100人分の人生をすべて覚えている人が「人生はこういうものだよ」って話すなら分かるけど、人生を一回しか経験してない、しかもまだ人生の途中で、終わりまで経験したことがない人が偉そうに「人生とはこういうものだ」って話すのって、なんか「はいはい。ちんこちんこ。」って感じじゃない?

ちなみに私も偉そうに人生語ってるけど、もちろん人生一回しか経験してないし、しかもまだ終わりまで経験したこと無いし、しかもまだ30年ちょっとしか生きてないからね?だから私の話も「はいはい。ちんこちんこ。」って受け流せば良いと思う。

しかし、みんな覚えていてほしい。いつの日かニュースで「『はいはい。ちんこちんこ教』という宗教が――」って話を聞いたら「あ。ガルニモの管理人の人、ガチで動き出したな……」って思ってほしい。ちなみにこの宗教に入るメリットは特に無く、デメリットは会費が月1万円ってことです。

この邪教の凄いところは、その計算しつくされた宗教名にある。そう。放送禁止用語が入っているのでテレビで「この宗教に気をつけてください」っていうときでも「はいはい。ピーピー教」というようにピー音が入って、邪教の名前を放送できないのだ。

逆に、この宗教名がテレビで放送できたとしよう。想像してみよう。NHKのニュースで女性アナウンサーが「はいはい。ちんこちんこ教が――」って喋り出した時のことを。テレビを見てる人は爆笑して反感を持つどころか私の宗教に興味を持つだろう。そしてメリットがないのに入信し、意味もなく月イチの一万円の会費を払い続けるのだ――!

やがて「はいはい。ちんこちんこ教」は世界三大宗教と肩を並べ、私の名前も後世に何千年、何万年と伝わり続けるのだ。「はいはい。ちんこちんこ教といえばあの人だよね。あの人こそはいはい!あの人こそちんこちんこ!」と!

そんな恥ずかしい名前の宗教の開祖として名前を残したくないので、宗教開くのやめるわ。

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