文学ファイター

まぁ、正直おしゃれな人にも憧れるんですけどね。

ダサいというデザイン

私は格好いい人よりもダサい人の方が好きです。

正確に言えば格好いい人も好きですが、ダサい人の方が話しやすいです。「友達になれそうだな」と思えます。要するに「敷居が引くそうだな」と思えるのです。いえ、悪口ではなく良い意味で。

もちろんもし彼女を作るなら出来れば可愛い人や美人な人を彼女にしたいとは思います。ですが、話しやすい人というのは地味な子です。可愛い子や美人な子を彼女にすると「自分もこの子に見合った男にならなければ」という気持ちになってしまいます。肩に力が入ってしまいます。よって私は地味な子フェチです。

そして突然話はウェブサイトの話へ。

昔あるサイトを見て「ぜひともコメントをしたい」と思いました。でもコメントを残す勇気が出ませんでした。なぜならそのサイトはおしゃれだったからです。

おしゃれでした。クールでした。きっとこのサイトを作っている人はとってもおしゃれで素晴らしい人間で私のようなクズな人間がコメントを残してはいけないと思いました。要するに、私にとってそのおしゃれなサイトは敷居が高すぎたのです。

昔、ショッピングサイトについてある記事が話題になりました。曰く「Flashを使ったスタイリッシュなウェブサイトよりも昔ながらの少々不格好なショッピングサイトの方が売上が高い」。

これはきっと、Flashを使ったスタイリッシュなウェブサイトは、そのウェブサイト閲覧者に「ここで買うには敷居が高いな」と思わせてしまったからです。

でダサいというデザインを最大限に武器にしているサイトは2ちゃんねるだと思うんですよ。正直デザインがダサイじゃないですか、2ちゃんねる。

昔は「できるだけ軽いウェブページにしなければ」という意味であのシンプルすぎるデザインは必要だったと思うんです。でも、充分ネットが早くなった現在もなぜ2ちゃんねるはあれ程ダサいデザインのままなのか。というか「なぜあのダサいデザインなのに人がたくさん来て」「後から出来たおしゃれな掲示板サイトには人が集まらないのか」。

なぜなら2ちゃんねるは書き込むのに敷居が低いからだと思うんです。広告バナーを乱雑に貼り付けて、特に「おしゃれなサイトにしよう」という痕跡が見られない。ようするにダサいんです。何書いても許されそうな。そんな雰囲気。考えてみれば「便所の落書き」を自称するのも敷居を低くする重要な要素の一つだと思うんです。

確かアメリカでも2ちゃんねるのような掲示板サイトが出来て「最も影響力のあるサイトの一つ」に選ばれたりしているそうです。このサイトが出来る前にもアメリカにはコミュニケーションサイトがたくさんあったんです。でも後発のダサいサイトが一気に追い抜いた。なぜなら書き込むのに敷居が低かったからです。

よく小さな商店街にいくと「ダサい服ばっかり売っているのになぜかつぶれない服屋」とか「近くにおしゃれな散髪屋があるのになぜかつぶれない小さな散髪屋」とかあるじゃないですか。あれは全部「ダサい方が敷居が低い」の法則があるからだと思うんですよ。

おしゃれな服屋を「敷居が高い」と思う人やおしゃれな散髪屋を「敷居が高い」と思う人が結構いるってことですよ。

つまり純粋な芸術やデザインの分野なら神がかり的に敷居が高くあるべきなんですが、「おしゃれであること」「格好良くあること」そのものが目的で無ければ、ダサいというのも「敷居が低く、とっつきやすく感じる」という意味で一つの武器になりますよ、っていう話。だから私は中学生の頃に買った服を今でも着て良いんだと言う話。

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