文学ファイター

「内向型人間」というものに興味を持ったら、amazonで「内向型」とかで検索して適当な本読んでみると良いよ。

内向型人間

人間には「内向型人間」と「外向型人間」の二種類がいる。この文章を見ている皆さんは「自分は内向型だな」とか「自分は外向型だな」ということがなんとなく分かっていることでしょう。ちなみに私は典型的な内向型人間です。というわけで、今回は私と同じ内向型人間であるあなたに向けてこの文章を書きます。

基本的にあなたは家で静かに過ごすのが好きで、飲み会とかパーティーとか苦手だし、なんなら友達と遊ぶより家で一人でいたい時すらあるでしょう。そしてあなたはそれを「私は体力がなく、他の皆は私よりも体力があるのだろう」と誤解していることでしょう。真実を教えよう。実はこれは体力の問題ではなく、内向型人間と外向型人間のエネルギーのとり方の違いに起因しているのです。

あなたは基本的に家で一人でいる時に自分自身にエネルギーをチャージしていることでしょう。そして他人とコミュニケーションをしているときにそのエネルギーを消費していることでしょう。外向型人間は違うのです。外向型人間は逆に一人で家でじっとしていることが苦手で、むしろ他人と出会ってコミュニケーション……より正確には外部からの刺激を得ることでエネルギーを活性化させているのです。

「刺激過多」という言葉があります。分かりやすく言えば「刺激が多すぎる」っていうことですが、外向型人間には意味不明な言葉だと思います。「なんで?刺激があったほうが楽しいじゃん?」って思ってることでしょう。でも、内向型人間である私とあなたは「刺激過多」はものすごく良く分かる言葉です。飲み会とかパーティーは刺激が多すぎて、エネルギーを消費しすぎて、前半はなんとか頑張れても、後半は私達はもう無口になってます。何も喋りません。なぜなら、もう喋るエネルギーすら残されていないからです。

また、外向型人間は「喋りながら考える」ことが出来ますが、内向型人間は「喋りながら考える」ことが苦手です。ただし、それは内向型人間が馬鹿だということではありません。内向型人間は「考える」事自体は外向型人間よりもより深く考えることが出来るという説があり、文章を書くことは外向型人間よりも得意だと言われています。内向型人間の私はその典型です。私が書いている文章を読んで、私が過激な人間だと誤解している人もいるかもしれませんが、私は文章を書くのが得意なので面白おかしく文章を書いているだけで、私自身はむしろおとなしい方の人間です。だって内向型人間だもの。

そして、内向型人間である私と、内向型人間であるあなたが、生きていくのがそこそこ辛いのは、この世界が外向型人間を中心にデザインされているからです。

ご存知のようにこの世界では小学一年生時点で友達100人を作るよう強制されます……というのは冗談としても、「友達は多いほうが良い」「飲み会に出ろ」「旅に出ろ」「刺激を求めろ」「君はワクワクするために生まれた」と、一般的に良いと思われていること全ては外向型人間にとっては「エネルギーを手に入れることが出来る行為」ですが、私達内向型人間にとっては全て「エネルギーを消費する行為」です。この世界は地獄かな?

そして、この世界では外向型人間のほうが社会的に成功しやすいそうです。彼らは「考えながら喋る」ことが当然出来、他人とのコミュニケーションも全然苦手ではないので、バリバリコミュニケーションを取り、バリバリ社会的ネットワークを構築しますし、彼らのなかには「刺激過多」なんていう言葉はないので、刺激を求めてバリバリ新しいことに挑戦します。その結果、幸運を手に入れる可能性すら内向型人間より高いそうです。そんなもん外向型人間の方が成功するに決まってるがな。

きっと私達はもう駄目なんだよ。

内向型人間が外向型人間に比べてもっている利点のひとつとして「純粋に自分のためだけの時間を持っている」ことがあります。外向型に比べて、内向型の私とあなたは一人でいることが全然苦痛ではありません。なので、「純粋な自分のためだけの時間」をたくさん持っています。「何かを極めるためには、それに対しての才能よりも、それに対してどれだけ練習を行ったかの方が大事である」という説があります。成功しているスポーツ選手や音楽家は内向型人間のほうが多く、なぜ彼らが成功したかというと「純粋な自分のためだけの時間」の全てをその技術の向上のために使用したからだそうです。

つまり、内向型人間の私達はゼネラリストではなくスペシャリストが向いているということです。

なるほど。これでもう安心だ。とはなりません。なぜなら内向型である私とあなたは、今の所特に何のスペシャリストでもなく、今後も、特に何かのスペシャリストになる予定が無いからです。よし!死のう!

孤独のデメリットとメリットに関して。

私はほとんど……というか、全く友達はいないのですが、内向型人間なので、それに関して全く苦痛は感じていません。しかし、これを読んでいる外向型人間で、社会との接点がたくさんある方は「孤独」に対して偏見を持ってしまっており、客観的な「孤独」のデメリットとメリットを判断できないと思います。そこで、今回は「孤独」のプロである私が、「孤独」であることのデメリットとメリットをお教えしましょう。

孤独であることのデメリットは人生を誰も助けてくれないことです。だって友達がいないんだもの。これに関しては皆さんもだいたい想像がつくでしょう。

孤独であることのメリットは人生に制限がないことです。これは逆に言えば、社会との接点が多い人ほど人生に制限がかかるということです。

ドイツの有名な物理学者アルベルト・アインシュタインさんはこんな言葉を言っています。「常識とは、18歳までに身に着けた偏見のコレクションである」と。社会と接点が多いということは日常的に「常識」を持った人たちに囲まれて生きていることでしょう。つまり「人間は常識的な人生を送るべき」「普通の人生ルートを送れ」という圧力をお互いにかけ合っています。普通の人生ルートを抜けようとすると、結構強い圧を受けて、普通の人生ルート以外の人生を送るのが大変困難です。もちろん、社会との接点が多い外向型人間の中にも「普通の人生」圧力を押しのけて好きに生きている人もいますが、ご存知のように彼らは社会的強者、エネルギーのバケモノです。対して、孤独である内向型の私達は、それほど強力なエネルギーを持たなくても、結構好きに生きられます。なぜなら「常識的観点からその人生を警告する友人」がそもそも少ない(もしくはいない)からです。圧力ゼロです。しがらみゼロです。

コントロール(操作・支配)の話。

これはどこかのネットで見た情報なので、信頼性は低いのですが「マリオのゲームがなぜ楽しいかというと、人間はコントロールをすることに喜びを覚えるから」だそうです。へー。

例えばサラリーマンをやめて、起業に挑戦したり、自営業に挑戦したりすることは、成功する可能性がかなり低いことが良く知られています。ですが、それと同時に「一度サラリーマンをやめて、起業や自営業の自由の楽しさを知ると、もうサラリーマンには戻れない」という話もよく聞きます。

私は「お金持ちになってアーリーリタイアして働かずにプラプラ生きていきたいなー」と思っているのですが、ネットでこんな話を見ました。「アーリーリタイアの良さがわからない。仕事をやめても、暇すぎて結局また仕事をするんじゃない?」と。賛同はしませんが、言いたいことは理解できます。確かに私もあまりにも暇すぎると「だめだ!暇すぎる!仕事しよう!」ってなるかもしれません。

そもそも私達はなぜ会社(もしくは学校)に行くのが嫌なのでしょうか?おそらく私達は、正確には「学校・会社」が嫌いなのではなく、学校や会社に行くことを「強制されること」が嫌いなのではないでしょうか。不自由であり、他に選択肢がなく、コントロールできないことが苦痛なのではないでしょうか。気が向いたときだけ学校や会社に行けばいい、と言われたら、私達はそれほど学校や会社を苦痛に感じないのではないでしょうか。

単純に学校や会社に行くことを月曜日から金曜日まで強制されると考えると、私達は自分の人生全体の「7分の5」を自由にできません。つまり、人生全体の「7分の5」を他の人にコントロールされていることになります。そりゃあ、学校に行きたくない、と思ったり、会社に行きたくない、と思うのは当たり前です。

冷静に考えれば、自分の人生の「7分の5」を自分でコントロールできないというのは異常です。普通、自分の人生の全てを自分でコントロールできることが当たり前じゃない?だって自分の人生だもの。そりゃあ自営業になって自分の人生の全てを自分の自由に出来る経験をした人が、もはや「人生の7分の5を他人にコントロールされる」サラリーマンには戻れなくなるのも納得です。

そして、人間が「コントロールできること」「自分の思いのままに出来ること」に喜びを感じるのなら、人生で自由を追い求めることは正解の人生なのでしょう。

例えば、きっと大昔、まだ会社という組織形態が存在しない時は「自営業」が当たり前の時代があったのでしょう。皆もっと自由に生きていたことでしょう。その後、なぜ会社組織という形態が立ち上がり、一般的になったかというと、たくさんの人が集まって仕事する会社組織の方が単純に生産性が高かったのでしょう。

「国家・社会にとっての幸福」は「生産性が高いこと」です。生産性が高いと、国力が増し、より多くの人間を養えるからです。だからこそ会社組織が増えたのです。しかし「個人にとっての幸福」は「生産性が高いこと」ではなく「自由であること・自分でコントロールできること」です。

読書か?経験か?の話。

本を読むことの重要性はよく知られています。社会で成功する人は読書の習慣がある、とよく言われています。逆に「本を読むことよりも、実際に自分で経験することの方が大事だ。だから本なんか読んでないで、外に出て色々と新しい出来事にチャレンジしろ」っていう話もよく聞き、確かにこれにも一理あります。

ただこれ、どちらが正しいかというよりも、ただ単に内向型人間と外向型人間の水掛け論なだけな気がします。内向型人間は家で静かに過ごすのが好きですし、たいてい読書の習慣もあるので「本を読むのが大事」という説に共感するのに対し、外向型人間は家で静かに過ごすのは苦手ですが、代わりに新しい刺激を求めることは好きなので「読書よりも実際の経験が大事」という説に共感するのでしょう。

私は内向型人間なので「読書が大事派」なのですが、読書が大事なことの理由のひとつとして、他の人の考え方ややり方を学ぶことが出来る、ということがあります。例えば、元アメリカ大統領が何を考えているかは、実際に会って話すことは出来ませんが、本を読んで学ぶことは出来ます。実際に戦場で人を殺したことがある人が何を考え、どんな経験をしたことがあるか、とか、大学の偉い先生や、逆に貧困に苦しんだことのある人、つまり、普通に生きていると出会うことのない、あらゆる人間のあらゆる考え方や経験を学ぶことが出来ます。「読書」ではなく「経験」を主軸としてしまうと、自分と接点のある人からしか学ぶことが出来ません。つまり、読書派はズルいのです。我々はズルいのです。げっへっへっへっへ。

自分の人生や考えを本に書いて出版しているような人は「普通の人生ルート」をずれて、「変な人生ルート」「良く分からない人生ルート」「偉大な人生ルート」「地獄行き人生ルート」を行っている人も多くいます。我々内向型人間は、本を読むことで、「普通の人生ではないルート」がこの世界にはあることを知っています。知っているどころか、彼らがどのような経験をし、どのように学び、どのように考えているのかすら分かります。だって本に書いてあるもの。

少なくとも私達のこの世界のこの時代の「常識ルート」「普通ルート」は「人生の7分の5を他人にコントロールされる」人生です。その人生で成功できるならまだ分かりますが、私達内向型人間は、外向型人間に比べて、「普通の人生ルート」を歩むのは不利です。なぜなら外向型人間は普通に生きているだけで成功側へ鞘寄せするのに対し、私達内向型人間は普通に生きているだけで「大丈夫?ちゃんと生きれてる?友達とかいる?」と、まず生死の心配をされるからです。生きてるよ。

それに、人間が「自由であることに喜びを感じる」のであれば、そもそも「普通の人生」は誤りであることになります。だって人生の7分の5を他人にコントロールされてるなんて、どう考えても間違ってる。つまり、この世界のほとんどの人間は間違ってる。さらには社会と接点が多いと「普通の人生ルートから外れる」がまず難しいです。だって、あなたの人生を心から心配する常識人の友達が、「そんな理想的なことを言っても、そんな生き方普通に考えて無理だよ」って言ってくるからです。普通の人生圧力をかけてくるからです。

でもこれって「今の『普通の人生ルート』は確実に間違ってるけど、『普通の人生ルート』を外れると、成功するかもしれないけど、失敗するかもしれないじゃん?だから一緒にこのまま間違った人生を送ろうよ」って言っているのです。これ変じゃん。

「人間は他人のため、社会のために生きるべき。個人の幸福よりも社会・国家の幸福を優先させるべき。だから『自由』を選択するのではなく、『普通の人生』を送れ。サラリーマンとして生き、社会の生産性向上のために尽くせ」って言う人がいるかもしれないけど、そんなことは知ったこっちゃない。私は個人主義だし。

「働かずに喰う飯はうまいか?」っていう煽り文句があるけど、働いて喰う飯はうまいし、働かずに喰う飯もうまいし、遊び疲れて喰う飯もうまいよ。ご飯はいつだって美味しいよ。

「普通の人生ルート」においては、外向型人間の方が有利だけど、「普通じゃない人生ルート」においては、内向型人間のほうが有利だと思う。だって『普通ではない人生を送るルート』を選ぶことにそれほど圧が無いからです。例えば『普通の人生ルート』を抜けると社会との接点が少なくなることが容易に推察できるけど、それの何が問題なのでしょう?私達は元々、社会との接点が少ない内向型人間です。

確かに『普通ではない人生』を選択することにたくさんの困難はあるでしょう。でも、考えてください。「人生の7分の5を他人にコントロールされる人生」やで?安定しているからって、確実に誤った人生ルートを選択する?だってホント「人生の7分の5」やで?まじで?本当に?本気?

もちろん、人生を何回でもチャレンジできるなら、そのうちの一回くらい「人生の7分の5」を他人のために使ってもいいと思う。でも、ワシら死ぬで?人生一回やで?皆ちゃんと人生に関する本を読んでる?ほとんどの人は他人のために自分の人生を使って「もっと自分のために人生を使えばよかった」って思いながら死ぬんやで?めっちゃ本に書いてるやん。昔の偉人とか、老人が残した詩とか、幸福に関する研究とかが、皆「人間は自分のために生きるべき」って言ってるじゃん。大丈夫?答え書いてるじゃん。ちゃんと本読んだ?答え見た?私達は本を読むようなズルい人間なので、答えを知ってるじゃん。「人生は他人のためではなく自分のために使うと良いよ」って答えを知ってるじゃん。私達自身はまだそんなに人生を長く生きてないけど、私達よりもたくさん生きた、私達よりも頭が良い人が出した答えをカンニングしたじゃん。なのになんでわざわざ間違った人生を送るの?不正解を選ぶの?

私達の人生を誰も助けてくれない代わりに、私達の人生に制限は無い。

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