文学ファイター

おっさんの日記。人間って別に頭が良くなくてもおっさんになるんだよ。

2013年8月4日の日記。

会社を辞めたい。

学生の頃、就職活動している時に思ったんだけど、多分、この世で一番幸せな職業って原始的な仕事だと思う。いや、単純作業という意味ではなく、原始人が楽しんでやってただろうなーという仕事……というより趣味のことだ。

例えばスポーツ。原始人は獲物を追って走ってるうちに、誰が仲間内で一番足が早いか競争したり、誰が一番強いか力比べをしたことだろう。

例えば絵画。洞窟壁画とかを教科書で見ると「多分、原始人は絵を描くの楽しかったんだろうなー」とニヤニヤしてしまう。

例えば音楽。具体的な例えは思いつかないけど、原始人は太鼓作ったり変な歌歌ったりして音楽も楽しんでたね。間違いない!

こういうのって、他の娯楽が何もなかった時に原始人は「ちょっと遊ぶか」って感じでやってたのだろう。つまり原始人の遊びだ。人間が根源的に快楽を見出したものだ。それを仕事に出来たら幸せだろうなー。多分、本能的に楽しいと思えるものだから。

でも、冷静に考えてこの3つの職業はなるのが難しい。プロスポーツ選手とか、かなりの才能とかなりの努力がないとなれない。画家とか、かなりの才能とかなりの努力がないとなれない。歌手とか、かなりの才能とかなりの努力がないとなれない。

で、この3つの職業にはなれないなー。とか思ってたけど、多分、原始人は土器を作るのも楽しんでたね。間違いない!「見てみて!超巨大なツボ!!」「こら!粘土無駄遣いしない!!」とかいうやりとりが絶対にあったね。「見て!最強のアックスハンマー!!」とかやってたね。間違いない!

つまり、物を作るっていうのも、人間が根源的に楽しく感じるものの一つじゃないかと思うんだよね。

一昔前は、職人っていうのは世界的には身分が低い職業の人がなるもので、職人をありがたがる日本は特殊な国だったそうだけど、逆になんで日本以外の国では職人の身分が低かったんだろうね?

多分、小学生の頃は図画工作の授業が好きだったって人が結構多いと思うんだけど、偏見?

私も小学生の頃は図画工作が一番好きな授業でした。でも、気づいたら私は手先が不器用になっていました。

これが不思議なもので、別に小さい頃は「自分は手先が不器用」っていう認識はなかったんだけどね。気がついたら不器用キャラになってたね。それともあれですか?実は私の家では特に手先が器用になるための特殊な修行とかしてないけど、皆してた?私の知らないところで「職人養成講座」とか、小さい頃受けてた?

そんな手先が不器用だけども、物を作りたい私の目の前に現れたのがプログラミング。素晴らしい。ボタンを押すだけで、"ソフトウェア"というモノが作れる!ボタンを押すだけなら不器用でも出来る!勝った――!!

というわけで、プログラマーになったけども、もう会社をやめたい。ついでに言えば、プログラマーも辞めたい。

私は人と仲良くなるのが幼い頃から苦手でした。少数の特定の子としか遊ばない、っていう子が私でした。

で、プログラマなりたいなと思って、大学卒業後にIT系の専門学校へ入りました。

この専門学校は5月くらいに修学旅行的なイベントがあるらしく、毎年そこでクラスメートが打ち解ける、という流れだそうです。修学旅行とかそういうイベントが嫌いな私は「嫌だなー」と思っていました。

で、その修学旅行的なイベントですが、台風か何かで中止になりました。また「IT系の専門学校」の特徴なのかわかりませんが、みなさん性格が内気でした。

結果、私のクラスは特にそれほど打ち解けること無く、どこかよそよそしいまま卒業まで行ったのですが、この「薄い人間関係」というか「遠すぎる人との距離感」が私には最高でした。人生で一番しっくりきた「人との関係性の距離感」でした。

みんなどこかよそよそしいのですが、皆さん性格が内気なだけで、決して嫌な奴とかではなく、穏やかで優しい性格でした。

「皆よそよそしいけど、みんな優しい」……私はこれに「冷たい優しさ」と名づけました。この「冷たい優しさ」空間こそ、私が生きていきたい空間だと思いました。比率で言えば、90%のよそよそしさと10%の優しさが理想です。

というわけで、人生で最高の人との距離感という空間を体験した私は、専門学校卒業時の就職活動でも「冷たい優しさ」を持ったIT会社を探しました!結果!無かった!

当たり前だよ。どんな特殊事情で会社がそんな環境になるんだよ。優しい人が多ければアットホームになるし、よそよそしい人が多ければ優しさなんてかけらもなくなるよ。

就職活動当時、自分の性格が変……というか、多分異常だろうなーと自己分析していた私は「多分就職しても一年くらいでクビになるだろう」と思っていました。謙遜とかではなく、本気でそう思っていました。私は、一生働くために就職しようとしたのではなく、人生の記念に労働というものをしてみたいし、どうせするなら、憧れていたプログラマーというものをしたいなー。という動機で就職しようとしていました。

一生働くのではなく、人生の記念です。持って一年です。ということは、ぶっちゃけブラック企業でもいいのです。一年でやめるし。っていうかやめさせられるし。

でも、人生の記念です。一年働いてクビになった後に、もう一生働くことは無いかもしれません。せっかく思い出を作るのなら、できれば良い思い出にしたい。というわけで、自分なりにブラック企業はできるだけ避けました。

どうせ、一年でクビになります。一生働くわけではないので、給料の高い安いとか無視です。労働環境が良ければそれで良い。というわけで、離職率だけを重視しました。離職率の低さを売りにしている会社を探し、見つけ、就職しました。

「冷たい優しさ」は無いけども、アットホームで良い会社でした。私のような異常な性格も、みんな優しい目で許してくれました。そこで働くことで、私は「人間はそれほど怖くない」「こういうのが常識」「私のこの考え方は異常」ということを学習し、性格が"異常"から"変人"くらいにはなりました。要するに性格が丸くなりました。電話に出るのも、まだ苦手意識はありますが、以前ほどは怖くありません。

そんなこんなで早三年?四年?五年?ともかく私はまだその会社で働いてるわけだけども、おかしいよね?話違うよね?私は一年でクビになる予定だったよね?

私の予定では、一年後会社をクビになって、人とは違う異常な人生を送ってのたれ死ぬ予定だったのに、今、そこそこまともな人間のふりをしてそこそこまともな人生を送っちゃってるよ?いいの?みんな、そんなんで?私の異常性をなめてない?私は異常だよ?私という存在の危険性に気づけよ?いつかそのうち会社に損害を食らわすぞ?

で、個人的にはプログラミングという行為自体は好きなんです。でも会社が苦痛。なんでだろう、と考えた結果、趣味プログラミングと仕事プログラミングの小さいけれども決定的な違いを発見しました。趣味プログラミングは自分の作りたいものを作ってるけど、仕事プログラミングは作れと言われたものを作ってる。

これは、一見小さいように見えて、実は大きな違いなんじゃないだろうか。皆も粘土で宇宙人作ろうとしてる時に「家族を粘土で作りましょう」って言われると気分なえるじゃん?

で、実はうちの会社は受託開発だけでなく、自主開発を行っている部署もあり、なにせアットホームな会社なので、おそらく願い出れば部署異動も出来るのでしょうが、私はしない。

私は、責任感がない。より正確に言えば責任が持てない。例えば、私がもし仕事で失敗してお客様に「てめぇのせいだ!ぶん殴らせろ!」って言われたら、多分黙ってぶん殴らせられるし、私は失敗したことには申し訳ないと思うけど、殴られたことに関してはそれ程気にしない。見栄とかじゃなくて、本当に心から「はいはい。殴られた殴られた。ごめんねごめんね」くらいに思ったあとには気持ちを切り替えられる。

でも、もし私が仕事で失敗してお客様に「お前の会社のせいだ!賠償請求する!」とか「二度とお前の会社に仕事頼まない!」とかなったら胃が痛い。死にたくなる。自分の失敗を自分で受けるにはなんの問題もないけど、自分の失敗で会社に迷惑がかかるっていうのが死ぬほど嫌だ。

例えば皆が個人的にポケモンやるのが趣味で、ポケモンの大会に出た時に「貴様の負けは!すなわち!貴様の学校のランクダウンにつながる!」とか言われたら、なんか嫌じゃん。違和感感じるじゃん。それ違くね?って思うじゃん。それと同じ理屈。多分。

つまり、私がもし自主開発の部署に移って理想通りに自分が作りたいものを作れても、それが会社の評判につながると思うと、やっぱりそういうのは嫌だ。責任取れん。要するに私は人間としての器が小さいのだと思う。

会社の名を借りることで、個人でやるよりも大きな仕事が出来る!って喜ぶ人がいるけど、そういう人は本当に凄い。私と人種が違う。私は自分の行動に起因するマイナスの責任は、自分にだけにかぶさってほしい。他人に迷惑かけたくない。

あとは、シンプルな理由としては、単純に私はプログラミングが出来ない。プログラミングのコーナーを見ている人は「この人は凄いプログラミングが出来るんじゃないか」とか思っているかもしれないけど、実は内容は技術的に難しいことは全くしてない。単純に知識の差として私のほうが知ってることが多くて、コーナーで勉強している人は知っていることが私より少ない。で、知識の差っていうのは、勉強を続けてたら簡単に埋まる。皆はすぐに私を追い越せる。

で、働いてみてわかったけど、私は特にプログラミングが得意なわけじゃない。元々文系だし。毎日、自分がプログラミングできないのを誤魔化し誤魔化し作ってる。必死。っていうか、ヘタするといつか会社にとんでもない損失を与える失敗をしそうで怖い。

っていうか、そもそも論として私はこれ程きちんと労働というものをやる予定は無かったんだよ。一年でクビになる予定だったんだよ。

と思って会社に辞めたいって言ったら、まさかの説得負けをしてしまった。っていうか、説得されるとは思っていなかった。私は自身が仕事できない方の人間だと思ってて、会社も私に対してそう思ってると思ってたら、会社は私に対して仕事が出来ない人間とは思っていなかったらしい。こいつら、俺より仕事できるくせに俺より人を見る目が無いんじゃないか?と思って、頑張って私がいかにダメ人間かをアピールした。「私は自身が行う仕事に責任が全く持てない」と断言した。なのに説得させられた。訳が分からないよ。

で、心配なのが、もしかして会社がプログラマー界にあるあの法則に私も当てはまって、私が仕事ができてると勘違いしているんじゃないかということだ。プログラマー界のあの法則とは「プログラミング能力が高い人は変人が多い」である。私の先輩にも、凄く変人だけど凄くプログラミングが出来る人がいる。でも、私は違う。例えば陰気なイタリア人がいるように、お笑いが嫌いな関西人がいるように、プログラミングが出来ない変人が私です。

それどころか、最近任せられる仕事のレベルが高くなってきてる。確かに大学卒業後、専門学校通ったあとに会社入ったということで、年齢的にそこそこな年齢だし、入社してそこそこ年数立ってるし、そろそろそういう仕事を任せられる頃合い……なの?そうなの?でも、一旦会社辞めたいって言った人間にこんな仕事ふる?成長させようとしてる?私の成長を望んでる?

端的に言えば、私の人生の中で「人として成長する」という目標は微塵もない。私のプライドの高さは、人に殴られても「はいはい。殴られた殴られた。ごめんねごめんね」くらいのプライドしか無い。というか、その程度でプライドは別に傷つかない。っていうか、プライドそもそも無いんじゃないか?

改めて私がどういう生き方をしたいかな、って考えてみると「そこそこ楽しく生きていきたいなー。そのためなら、まぁそこそこは努力してもいいかなー」が私の理想とする生き方で、その中に「仕事が出来る人間になる」とか「リーダーシップを持つ」とか「キャリアプラン」とか「人としての成長」なんてものは全くない。

で、この会社に入ったのは「そこそこ楽しく生きていきたいなー」=「人生の思い出として働いてみたいなー」であり「そのためならそこそこ頑張るかなー」=「就職試験と就職面接を頑張るぞ!」であり、入社自体は私の理想の生き方として間違ってないけど、「仕事を通して人として成長」っていうのは理想の生き方のメインの「そこそこ楽しく生きていきたいなー」の範囲内にないよ!つまり、会社の私への働きかけは間違ってるよ!私はあなたが思ってるほど立派な人間じゃないよ!ダメ人間だよ!

私が夫、会社が妻として結婚に例えると、妻が夫に対して献身的すぎるよ!もっと私に冷たくして欲しいよ!夫婦間の価値観の不一致だよ!離婚事由になるよ!

というわけで、私は会社に全く恨みはないけど!価値観の違いだよ!人として成長したくないよ!っていうかその仕事をやる度量が私にないよ!失敗したらどうするんだよ!辞めたいよ!

私は変化が苦手な人間です。

ネット上では「新しい環境にワクワクする」とか「新しいことに挑戦したい」とか、「何らかの変化に挑戦するぜ」アピールをしている人がたまにいるけど、そういうアピールがプラスに受け取られる、ということは、実は多数の人間は変化が苦手なんじゃないだろうか。

で、私は変化が苦手なのに親が転勤族で小さい頃から転校しては新しい環境に無理やり適応しないといけなかったため、本質的な「変化が苦手」という性格と現実に「変化に対応しなければならない」という環境に置かれて、私の性格はねじくれた変人になったのだと思う。

私がどれくらい変化が苦手かというと、もはや変化したくないというレベルを超越して変化したくないです。

ようするに、元に戻したいです。全て私が幼児だった時代の状態に戻るがいいわ!!と思っています。割とマジで。

バファリンの半分が優しさで出来ているのは昭和生まれには常識ですが、私の人生の80%は不幸で出来ています。

人間は、昔のことを思い出すとき、不幸なことは忘れて、幸せなことしか思い出さないそうです。私も人生を振り返ると、特に不幸だった思い出はそんなに無いのですが、当時私は自分のことを「自分は不幸だ」と思っていた記憶がありますし、不幸な記憶がそんなに無い割には幸せだった思い出もそんなに無いので、思い出補正を無くせば、私の人生の80%は不幸だったでしょう。

専門学校の「冷たい優しさ」時代は大変幸せでした。そしてそれ以上に幸せだったのが幼児時代です。従って、この世のありとあらゆる事は私が幸せだった幼児時代に戻るがいいわ!!と思ってます。そのためには、私は悪魔に魂を売って魔王となり、最終的に勇者と決戦する所存です。これはピーターパン症候群かなー、とも思うのですが、いつまでも子供でいたいというピーターパン症候群とはちょっと違う気もします。専門家から見るとどうなんでしょう?

というわけで、当初の人生プランでは、会社を一年でクビになったあと、自分なりに幼児時代を取り戻そうと思っていました。具体的にどうするつもりだったかは全く覚えていません。当時の私に聞いてください。

でも、さすがにこの年齢になると、もうあの頃には戻れないというのをヒシヒシと感じます。そもそも幼児時代に住んでた家は引っ越したし、あの頃元気だったおじいちゃんもおばあちゃんも既に亡くなったし、家族は私も含めて年を取りました。当時は「庭を大冒険する」というセリフを何の疑問も持たずに使っていましたが、もはや今の私には庭を大冒険することは出来ない。あの頃の感性には戻れない。

私は人間が苦手ですが、なぜか最近家庭を持つことに憧れています。単純に「好きな人と一緒に幸せに暮らしたいなー」っていう願望もあると思うのですが、私以外の人間(私の子供?)に、私が幸せだった時代(幼児時代)を過ごしてほしい。私が失った感性を持ってる子を側で見てみたい。そして、その子の人生の思い出に私も参加したい、っていうのもあるんだと思います。誰かが主人公である人生の中に、私も脇役として参加したい……。これが父性か!?っていうか一応まだ二十代だけど、もう父性って発揮されるの!?っていうか、人生でまだ一度も彼女を作れたこと無いのに父性って発揮されるの!?

私は、おっさんになる、というのは何らかの努力をした結果、おっさんになると思ってました。現実には、何もしなくても勝手におっさんになってました。今年の4月に例年通りに新人が入社してきたのですが、若いなーと思ったからね。正直、人生経験の厚さはその新人達のほうがある自信がある。私は人生何も経験してない。それでも、新人を見ると若いなーと思いました。人生経験が薄いおっさんとか最悪ですよね。私は順調に最悪なおっさんになってきています。

ほんと、あんなにやめたいアピールしたのに、なぜまだ働いているのか不思議でしょうがない。

しかも、そこそこでかい仕事振られるとか訳がわからない。

補足。

就職活動中で、ブラック企業に就職したくない人は離職率を最重要視するといいよ。

今、ブラック企業に勤めてる人で「どうせ世の中の会社は全部ブラックなんだろ!?」とか勘違いしている人も、離職率のみ見ながら転職活動するといいよ。ちなみにうちは中小企業だけど、残業代全部出るし、法令も順守してるよ。

あと、私の働いている企業が良い企業であることは私も充分わかってるけど辞めたいよ。私の人生計画にまともな人生を送るなんて計画はなかったよ。いい加減に生きて適当に死にたいよ。

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