文学ファイター

文章の流れで大人になった今も私は「良い子属」に属している風に書いてしまったけど、正確には今は「ダメ人間属」に属している。

我々はなぜ「普通」に憧れるのか

私がもっと普通の性格であれば友達がいないなんてことはなかっただろうに。私がもっと普通に仕事が出来れば働くことを苦痛に思わなかっただろうに。私がもっと普通に空気が読めれば私の発言でその場に沈黙が訪れることも無かっただろうに。私はもっと普通の人であれば良かった。

私は小さい頃「良い子属マジメ派」に属していました。とはいえ、私自身はこの系統の中でレベルの低い方でした。「平均より良ければ良し」としていたので。この系統の中でレベルの高い方は「極力1位を目指す」でした。

で、私は周りに対して柔軟にフニャフニャと対応していましたし、良い子属に属していたとは言えそれほど目立つ方でも無かったので、それほど周りに敵を作ることはなかったのですが、「良い子属」の属性が強すぎるレベルの高いクラスメートとかは、たまに「良い子ぶりやがって」と周りと軋轢を生じさせている人がいました。ただ、私は「良い子」であることが何故ダメなのかが心底分かりませんでした。なぜなら「良い子」であることは社会的に良いとされているからです。

なので、学生時代は「良い子」であることに反感を買うのは利害関係の対立からであると認識していました。つまり、A君が良い子でB君が普通の子であった場合。社会(大人や教師)から、A君の評価が高くなり、相対的にB君の評価が下がるから。B君特に悪いことしてないのに。そりゃB君もA君に反発したくなるだろう、というように理解していました。

が、今年の初めに芸能界の「良い子属明るい派」に属するタレントのベッキーさんが不倫問題で話題になりました(ちなみに、正確には属が同じだけで、私は「マジメ派」でベッキーさんは「明るい派」なので所属は異なります。)。で、その時にネットで「もともとベッキーは良い子ぶっていて嫌いだった」という言説が出ました。なんてこった。この「嫌いだった」と言っている人はベッキーが良い子であることに対して利害関係ないぞ。ベッキーが良い子であろうが悪い子であろうがこの人自身の評価変わらないぞ。この人は純粋に「良い子ぶって」いることを嫌っている。

つまり、良い子である私は今すぐ死ぬべきであり、これを読んでいる良い子であるあなたも今すぐ死ぬべきなのだ。だって存在が不快だもの。滅びろ良い子。

しかし、存在そのものにプレッシャーをかけられるのは良い子属だけであろうか?

上記は、ベッキーさんの例を使いたくて「良い子属」を例に出したが、例えば「マジメ」であることに対して反感を買うこともあるし、「明るいこと」に対して反感を買うこともある。それどころか「不真面目」であることに対して反感を買うこともあるし、「暗いこと」に対して反感を買うこともある。

「スポーツが出来る」「スポーツが出来ない」「勉強が出来る」「勉強ができない」「良い子である」「悪い子である」「性格が明るい」「性格が暗い」「背が高い」「背が低い」「カッコイイ」「可愛い」「ブスである」「ブサイクである」「足が早い」「足が遅い」「太っている」「やせている」「鼻が高い」「鼻が低い」「おしゃれである」「ダサい」「マジメだ」「不真面目だ」彼らはみんな、存在するだけで周りにムカつかれる。存在が不愉快である。滅びるべきである。なぜ彼らが存在するだけで周りにムカつかれるのか。存在が不愉快なのか。滅びるべきなのか。

なぜなら彼らは「スポーツが出来るから」「スポーツが出来ないから」「勉強が出来るから」「勉強ができないから」「良い子であるから」「悪い子であるから」「性格が明るいから」「性格が暗いから」「背が高いから」「背が低いから」「カッコイイから」「可愛いから」「ブスであるから」「ブサイクであるから」「足が早いから」「足が遅いから」「太っているから」「やせているから」「鼻が高いから」「鼻が低いから」「おしゃれであるから」「ダサいから」「マジメだから」「不真面目だから」である。人類はみな滅びるべきなのだ。

なので私達は普通に憧れるのだ。何も特徴が無い人に憧れるのだ。「スポーツ能力は普通」「勉強も普通」「良い子でも悪い子でもない」「外見も普通」「足の速さも普通」「太っても痩せてもいない」「ファッションも普通」「マジメじゃないし不真面目でもない」。そんな存在が、唯一周りを不快にさせないのだ。なぜなら、これと言って特徴がないからだ。普通である者のみが生きていて良いのだ。それ以外はみな死ねばいい。

「出る杭は打たれる」という言葉がある。これは「ちょっと目立つ能力があると叩かれる」的なニュアンスで、あんまり私達には関係ないことわざかな、って思うかもしれないけど、実はバリバリ関係があるのだ。私達は皆「出る杭」なのだ。私達は皆「出てる」ので、ただそこに存在しているだけなのにガンガン打たれてるのだ。そりゃ「ただ生きているだけなのになぜか辛い」人も出てくるよ。

でも、世の中には「普通」であることに憧れない人も居る。「カッコよくなりたい」「可愛くなりたい」「頭良くなりたい」「スポーツ出来るようになりたい」。すなわち、彼らこそ社会的強者であり、「普通であることに憧れる」人間は(私を含め)社会的弱者なのだ。つまり、「普通であることに憧れるか否か」を聞くことで、その人が社会的に強者なのか弱者なのかを測るリトマス紙になるのではないか。

ぜひこの案を「全日本社会的弱者強者研究所」的な機関に発表したい。え、無いんだ?

だからアウトローなヤンキーが「あいつ、調子に乗ってるからしばこうぜ」とか言っているのは「あいつは出てる杭だから、叩いて普通に戻そうぜ」と言っているのだ。どこがアウトローだよ。あいつこそ一般を守りしものだよ。普通を守りしものだよ。普通の権化だよ。普通でないものが許せないのだ。常識人めが!

そして、ただ普通に生きているのになぜか生きづらいあなたへ。大丈夫。皆そこそこ生きづらい。

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