文学ファイター

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2020年4月14日の日記

久しぶりにサイトでも更新してみようかと思いました。こんにちは。

内向型人間の人生の攻略方法について。

以前、内向型人間(内向型人間)について記事を書いたことがある。

ざっくり説明すると、内向型人間は「人と会うこと」や「飲み会やパーティーなどの楽しい場」でエネルギーを消費する人間のことであり、一人でいるときにエネルギーを自分にチャージしている人間のことだ。

内向型人間は外向型人間に比べて一人でいるのが苦痛ではないので、「自分一人の時間」……「自分の為だけの時間」を多く持っている。プロのスポーツマンやプロの音楽家に内向型人間が多いのはその「自分の為だけの時間」の全てを自分の技術の向上に使っているからだ。つまり、内向型人間はスペシャリストを目指すといい。

みたいな話をしました。

何を隠そう私も内向型人間なのですが、最近思うのは「プロスポーツ家やプロの音楽家では無くて、普通の内向型人間の人は、一体どうやって人生を攻略しているんだろう……参考にしたい」という思いである。

内向型人間は「自分の為だけの時間」を多く持っている、というのは確かに私も実感する所である。なので、この「自分の為だけの時間」を使って何を積み重ねるかで内向型人間はある程度人生を操作できるんだと思う。

人生は「何かを積み重ねる」ことでその方向に進む気がする。

例えば私は大学生の頃、プログラミングと全然関係のない学部だったけど、趣味でプログラミング勉強してみたら楽しくて、大学卒業後にIT系の専門学校へ行って更にプログラミングの勉強して、IT企業に入ってプログラマーになった。

私は「プログラミング」を積み重ねることで実際にプログラマーになったのだ。でも別にプログラマーとしての才能があるわけでは無かった。そもそも私、文系だし。でも「楽しいから」という理由で「プログラミング」という経験を積み重ねると、才能無くてもちゃんとプログラマーになれるのだ。

ただ、私のプログラマーになった理由が「一生をプログラマーとして過ごしてプログラミングを極めるぞ」というものでは無くて「プログラマーってなんか格好良いから、人生の思い出として一生に一度くらいプログラマーになってみたい」というものだったので、望みがかなったので辞めたけど。

興味があることを積み重ねれば、きちんとその興味のあることに向かって人生は進む。

逆に言えば「辛い現状から逃げ出したい」といくら思っていても、その「辛いこと」を積み重ねている限り、あなたは「辛いコト」から逃げられないという事だ。「自分に合わない」と思いながらも「自分に合わないこと」を積み重ねている限り「自分に合わないコト」から逃げられないという事だ。

例えば「積み重ねることが少なくともハズレではない」ものの最たるものが「お金」だと思う。「お金」をたくさん増やして最終的に「お金増やしてみたけど、結局自分の人生にお金なんて必要なかったな」っていうことはあるかもしれない。それでも積み重ねたことが無駄にならないのは「お金」は交換手段として使える特殊なアイテムだからだ。「私の人生にお金は必要なかったから、このお金使って、友達と旅行行ってぱーっと使うか」みたいなことに使えるからだ。つまり「お金」は確かに積み重ねることが「当たり」ではない可能性があるけれど「全くのハズレ」になることは無いのだ。

「じゃあ無条件にお金を増やすことを頑張れば良いのか」というとそうもいかないのが人生の難しいところだ。なぜなら私たち人間は別にお金を増やすために生まれたわけでは無い。なぜなら「お金が増えれば増えるほど人生が幸せになる」というものでは無いし、「お金が一定量を超えたらゲームクリアで天国行きです」なんてこともないからだ。

「お金を積み重ねることはハズレではないけれど、人生の究極の目的でもない」とするなら何を積み重ねるべきだろうか。私は出来れば人生が良い方向に進むものを積み重ねたい。人生が楽しくなる方向へ進むものを積み重ねたい。

じゃあそれは何だ?というとさっぱり分からない。

最近サイトの株式投資ビギナーというコーナーを別サイトにして更新を頑張ってるけど、あれは「なんとなくキリ良く100記事くらいまで書きたいな」というぼんやりとした思いで書いているだけで、趣味であって私が積み重ねていることではない。

実は、株式投資ビギナーとは別に「これをちょっと積み重ねてみようかな」っていう真面目に頑張ってるものが別にあって、そして実際に積み重ねていて形になりつつある。

で、形になってきてるんだけど「これ本当に私の人生を良い方向に持っていってくれるか?」と聞かれると自信がない。

何もかも理想通りにいけば確かに良い方向に進むけど、現実世界は理想通りに行くとは限らないのだ。

今、私は積み重ねたことが無駄になって時間を浪費するのが怖いのだ。

時間についてという記事で、「時間は力」という話をしたけど、時間のリスクとして「時間をかければかけるほど私たちは年をとり、時間をかけすぎると寿命で死ぬ」という話をした。

この文章だと「寿命で死ぬこと」を特に指して「時間のリスク」と言っているように感じるかもしれないけど、「時間をかけるほど私たちは年を取る」も、私は「時間のリスク」として含んでいる。

20代とか若い人の方が時間の力を持っている理由の一つとして「失敗してもまだまだ若い」ということがある。

例えば22歳が1年何かを積み重ねて失敗してもまだ23歳。すごい。23歳からまた別のことを1年積み重ねて失敗してもまだ24歳。すごい。24歳からまた別のことを1年積み重ねて失敗してもまだ25歳。すごい。20代スゴイ。どんなに失敗してもまだまだ若い。

私なんてもう30代なので1年1年が重いんだけど。例えば30歳が1年何かを積み重ねて失敗すると31歳。ひいっ。31歳から別のことを1年積み重ねて失敗すると32歳。ひいっ。32歳から別のことを1年積み重ねて失敗すると33歳。ひいっ。

モーゼスという78歳で絵を描き始めて大成した画家とか、65歳でケンタッキーを起業したカーネルおじさんとか年齢を経ても大成した人の例はいくらでもあるんだけど、「できれば20代のうちにああいう状況になっておきたい」とか「できれば30代のうちにこういう状況になっておきたい」というイメージが皆もなんとなくあると思う。私もある。なれてない。助けて。

きっと私は人間性に問題があるのだ。本当はもっとバランスの良い人間に生まれたかった。バランスの良い人間に生まれ、バランスの良い人生を送り、バランス良く死にたかった。なのに実際は極端な人間に生まれ、極端な人生を送っている。このままでは極端に死んでしまう。極端に死ぬという状況がどういう状況なのか分からないけど。

もし私が永遠の命と若さを持っていたら時間を無駄に浪費することを恐れず、挑戦することを恐れないんだけど。

確かに私は今挑戦してるけど、私もう30代で若くないんや。無駄打ちしたくないんや。頼む。この一撃で当たってくれ。と願ってる。神様もケチケチせずに正解を教えてくれればいいのに。せめて今積み重ねていることが正解か否かだけでも教えてけろ。

このガルニモのサイトを作っていて思うのは、私は一応ほんわかニーズがあるものを作る力はあるということだ。

この「文学ファイター」も大ウケしているわけでは無いけれど、ほんわか見られてる。プログラミングのコーナーのLinuxゲリラ戦記も大ウケしているわけでは無いけれど、ほんわか見られてる。株式投資ビギナーも大ウケしているわけでは無いけれど、ほんわか見られている。

そこで、この「ほんわか見られるサイトを作ることができる」という私の能力を生かして私の人生を良い方向へ進めることを企みました。

私が元プログラマーで良かったな、っていうところは、簡単なプログラミングなら一人で作れるところですね。一人で作ってるからあんまりきちんとは作って無いけど。

そして、サイトを作ったことがない人はイメージしづらいと思うけど、ウェブサイトを作るって言うのは結構低コストで作れます。月1000円もあれば十分。

つまり「何か良いサイトを作って自分の人生を良い方向へ進めることに挑戦する」っていうのは私は月1000円くらいのコストでいくらでも挑戦できるという事です。極端に言えば、私はウェブサイトを10個作ることにも挑戦できるし、100個作ることにも挑戦できる。

さらに私は人よりも時間を持っている。それは「内向型人間だから」という理由だけでなく、会社を辞めたからだ。そして実家住まいでありお金に困っていない。

人より多くの時間を持っているうえに、挑戦することにほぼコストがかからない。つまり私は挑戦することに対してかなり恵まれた前提条件を持っているという事だ。スゴイ。私スゴイ。

問題は、ウェブサイトのコンテンツをちゃんとしたものを作ろうとすると、量産なんてできないということだ。ちゃんとした良いコンテンツを作ろうとすると1つのサイトに真面目に1年くらい向き合わないと作れない。つまり私の前提条件は確かに恵まれているけれど、実際に挑戦できることは一年に一つだ。挑戦できることは一年に一つ。私は余り若くない。ぐぬぬ。

つまり1回失敗しただけで私は1年歳をとるんだけど。2回失敗で2歳。3回失敗で3歳。もうダメだ。死のう。

そして「これは失敗した」という判断も結構難しいと思う。確かに一見失敗してるけど、少し方向性とかやり方を変更したら成功するものなのか、そもそも根本的にダメなのか。

そもそも「何かを積み重ねる」っていうのは損得勘定抜き……つまり「利益になるかならないか」「自分の人生のためになるかならないか」を考えずに純粋に興味があることに関して何も計算せずに積み重ねるべきものなのかもしれない。

でも「それがたまたま誰かの目に留まって認められる」っていう可能性に賭けるのは結構な博打な気がする。

それともこれは私が打算的な大人になってしまったという事なのか。私には分からない。

人生が本当はもっと単純なものであればよかった。「人生とは足が速ければそれでいい」なら私は足を鍛えることだけ頑張るのに。「人生とは頭が良ければそれでいい」なら私は本を読むことだけ頑張るのに。「人生とはお金を多く持てばそれでいい」なら私は株式投資だけ頑張るのに。

人生は難しいな。ちんこちんこ。

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