文学ファイター

前回のはエッセイと言えないので、これが正式な今年初の文学ファイター。

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ワガママ

今日はワガママについて話そうと思う。でも、まずはワガママではなくて自己主張に関して話させてください。

私は社会人なので、社会に出て「仕事が出来る人」とか「優秀と言われる人」が周りにいる環境で働いている。この「仕事が出来る人」や「優秀と言われる人」が、なぜそのように言われるかと言うと、例えば「頭が良い」「体力がある」「リーダーシップがある」などの能力を持っているからなんだけど、そういう彼らの持っている能力のうちのひとつに「戦うべき時(主張すべき時)に戦える(主張できる)能力を持っている」というのがある。

うちは中小企業なので、大企業に依頼されて仕事をこなすことが多いんだけど、大企業に何か理不尽なことを言われた場合、戦う能力を持っている人たちはきちんと「それはおかしいですよね?」って主張する能力を持ってるんだよね。うちが中小企業なのにブラック企業ではないのは、偉い人が全員戦う能力を持っているからだ。

そして、この戦う能力っていうのは別に社外の人だけに向けられるんじゃなくて、例えば上司に理不尽なことを言われたら上司に反論できるし、部下が理不尽なことを言ってきたら、部下に反論できる、そういうのもひっくるめて、彼らは優秀だと言われるんだと思う。

そして、この文章を見ている人の中には「自己主張をするのが苦手」っていう人がそこそこいるでしょう。私もどちらかというと苦手です。私は学生の頃は全然自己主張できない人間だったので、そのせいで大学一年で病み、「駄目だ。性格変えよう」と思って復活した際に、意識的にワガママを言えるように、自己主張できるように努力しました。なので、小さい頃からワガママを言えていた人に比べると、私はワガママ初心者です。

というわけで一応自己主張できることは出来るけど、未だに私は自己主張が下手です。私が自己主張が下手な理由のひとつに「今、主張すべき時か、主張すべきでない時なのかが瞬時に判断できない」というのがあります。

例えば会社で、戦う能力を持った優秀な皆さんは電話で突然理不尽なことを言われたら、瞬時に「今は戦うべきときだな」と判断してきちんと戦えるけど、私の場合は電話で突然理不尽なことを言われたら、「検討させてください」と言って電話を切った後、周りの人に自分の状況を説明し、そして周りの人の状況も聞き、そして自分の席でじっくり考えた後、私はある結論をくだすのだ。「――もしや、私今理不尽なことを言われている……?」遅いよ!戦うタイミングを逸してるよ!!

多分、この文章を見ている人の中に「人生で一度もマジギレしたことがない」という人がいるでしょう。私も無い。そもそも、どこが怒るタイミングなのかを判断するのが難しくない?あとから振り返って「あれは怒るべき場面だったかも」と反省することは出来るけど、リアルタイムでは判断できない。「ここは戦うべき時」とか「ここは主張するべき時」とか「ここは怒るべき時」とかをリアルタイムで判断できる能力はコミュニケーション能力を構成する中のひとつの能力だと思う。私はコミュニケーション能力が低い。

この文章を見ている人の中には「私は戦わない(主張しない)平和主義者だ」という人がいるでしょう。確かに、AさんとBさんがお互いに主張し合って争いが起こると「うわー。ケンカしてる。良くないなー」という感想を持ってしまうのは理解できる。でも違うのです。例えば上の方で「うちが中小企業なのにブラック企業ではないのは、偉い人が全員戦う能力を持っているからだ」と言ったとおり、むしろうちの会社は、偉い人がそれぞれ戦う能力を持っているおかげで、会社自体が闇に沈むことがないのです。これが、偉い人が全員争いを好まない平和主義者だったら、理不尽なことに抵抗しなくなる結果、会社が闇に沈んでしまうことになります。「私の会社の社長が突然ワンマン社長に変わっても、うちの会社はそこそこ大丈夫だろうなー」と私がなんとなく思っているのは、うちの会社の偉い人の皆さんは、社外の人に対してだけでなく、社内の人に対しても、必要があれば戦う能力を持っているからです。

ただ、正直に言うと私も大学一年までは平和主義者でした。あまり自己主張するのは良くないと思っていました。でも、大学一年から性格を変えて、そこそこワガママや自己主張できるようになってから、明らかに生きづらさが無くなりました。つまり「自分が利益を得るため、もしくは自分の利益を守るために、きちんと戦うことができる(主張できる)能力」というのは、この世界を楽しく生きるためには必要な能力だということです。

ワガママについて。

私は大学一年からワガママを言えるようになってから「ワガママはなんて素晴らしいのだろう」と思いました。というわけで、その後大人になるに連れて、基本的に好き勝手に生きるように人生計画を立てています。

しかし、世の中ではワガママは良くないことだと言われています。子供の頃はワガママを言っていた皆さんも、大人になるに連れて「ワガママは良くないことだ」と学習し、ワガママを言わなくなってしまうのです。なんたる悲劇。

ワガママの語源は「我が意のままに」的なやつです。多分。つまり「自分の思い通りになれ」ということなので、「自分の思い通りの状況を作り出すこと」をワガママというのでしょう。そして、なぜワガママが非難されるかと言うと「ワガママを言うことで他人に迷惑をかけてはいけない」し「自分のワガママを他人に強制してはいけない」からでしょう。皆さんも子供の頃ワガママを言った時に、主にこの2つの理由で怒られていたと思います。しかし、ワガママの意味をもう一度よく見てください。ワガママの意味は「『他人に迷惑をかけながら』自分の思い通りの状況を作り出すこと」ではないし「『他人に強制して』自分の思い通りの状況を作り出すこと」でもなく、「自分の思い通りの状況を作り出すこと」です。

確かに皆さんは子供の頃、ワガママを言うことで周りに迷惑をかけてしまっていたし、ワガママを言うことで他人にそれを強制しようとしてしまっていました。なぜなら皆さんはまだ「子供」だったので、そうしなければワガママを実現する手段が無かったからです。

しかし、今や私達は「他人に迷惑をかけずに」「他人に強制すること無く(友好的な協力、もしくは自分一人の力で)」「自分の思い通りの状況を作り出すこと」が出来ます。だって私達は「大人」だもの。小さい頃、ワガママを言うあなたを叱っていた親は「周りに迷惑をかけること」や「周りに強制すること」に関しては叱っていたけど、「あなたが思いのままに生きること」に関しては叱っていなかったはずです。

私達は実際どの程度のレベルのワガママを実現できるかについて。

私は子供の頃は、あまりワガママを言う子では無かったのですが、子供の頃にワガママエリートであったあなた達は、良くワガママを言ってお菓子やおもちゃを買ってもらったことでしょう。しかし、冷静に考えるとこれはなかなかに凄いことです。なぜなら、子供だった頃、私達は収入源など持っていませんでした。働いていないもの。なのに、ワガママを使用した結果、お菓子やおもちゃを手に入れたのです。つまり、無から有を生み出したのです。無から有を生み出す存在を世の中では「神」といいます。つまり、あなたは子供の頃神でした。

しかし、子供の頃は神レベルのワガママを実現していたあなたも、成長するに従って、徐々にワガママを言わなくなりました。結果、あなたの中には、ワガママを言っていた頃のことをベースとして「ワガママで実現できるのはこの程度のレベルだな」というある程度の認識があると思います。

サーカスのゾウの話をしよう。

サーカスで飼育されている大人のゾウは、サーカスのキャンプのそばで、ヒモで繋がれ、そのヒモは地面に突き刺さった杭に結ばれています。大人のゾウは力があるので、その気になればヒモをひっぱって地面に刺された杭を引っこ抜き、逃げることが出来ます。しかし、彼らはそんなことはしません。なぜなら、彼らは子供のゾウの頃、まだ力が弱かった頃に「ヒモを引っ張っても、力が足りないから逃げられない」と学習しているからです。小さい頃に学習したことを、力がある今でも覚えていて、だから彼らはそもそも「逃げよう」と挑戦することすらしないそうです。彼らは子供の頃とは比べ物にならないほど力があるのに。

話を「どの程度のワガママを実現できるかについて」に戻そう。私達は子供の頃神でした。しかし、「周りに迷惑をかけながら」や「他人に強制しながら」でしか、その能力を発揮できませんでした。しかし、私達は今や大人なのです。子供の頃よりも「知識」も「体力」も「お金」も持っているのです。私達は今や「神をも超越した存在」なのです。お前は「大人」をなめてる。「大人のワガママ実現能力」をなめてる。子供の頃は、ワガママを実現したくても、手段がわからず、能力も足りなかったけど、大人の私達って今大抵の手段は分かるし、だいたいの能力もあるよ。例えば子供の頃は夢だった「ディズニーランドで一週間遊びまくる」は、大人の私達は本気出せば実現できるじゃん?しかも、「ディズニーランドで一週間遊びまくる」程度はまだ、私達大人にとっては実現が簡単な方なワガママじゃん?

例えば私は「お金持ちになって、働かずにプラプラ生きていきたいなー」と思ってる。冗談じゃなくて本気で。だからめちゃくちゃ大人の本気を出したら、お金持ちとは言わないまでも小金持ちくらいにはなれている。なので「大人が本気出せば大抵のワガママは実現できるんじゃないか」と思っている。だから、大人の皆さんもぜひワガママを実現しながら生きてほしい。なぜなら、私達はもはや「他人に迷惑をかけずに」「他人に強制させること無く」ワガママを実現できるのだから。

ワガママと権利の話。

ワガママを言うというのは、つまりそれに対して責任を持つということだ。例えば私は「働かずにプラプラ生きていきたいな」と思っている。そして、その代わり私は私の人生に責任を持つことになる。この生き方を選んだ結果、私が不幸になったら、その責任は全て私自身にある。私は「私の人生における全て」を私の責任として持つことで、それと引き換えに、私は私自身の人生を好き勝手に出来る権利を得たのだ。

例えば「この人と結婚したい」と思った時に、そのワガママを実現すると「家族を守る」という責任が発生するとともに、「家族と暮らせる」という権利を得たのだ。

例えば「社長になりたい」と思った時に、そのワガママを実現すると「社員を守る」という責任が発生するとともに、「会社を自由に経営できる」という権利を得たのだ。

安倍首相は、左翼からは嫌われていてよく悪口を言われているけど、安倍さんがなぜ自由に「日本を運営」できる権利を持っているかと言うと、「日本という国に発生する全て」に責任を持っているからだ。左翼の人たちは安倍さんの政策に対して好き勝手に悪口を言えるけど、「じゃあ、お前が安倍さんの代わりに首相として日本を運営するか?」って聞かれると、ほとんどの人が断ると思う。なぜなら私達のほとんどが「日本という国に発生する全て」に責任を持てるほど、人としての器が大きいわけではないからだ。

つまり「責任」というリスクを持つと、「それを自由に出来る権利」というリターンを得られるのだ。私達がどの「責任」を持つかで、私達がこの世界で手に出来る「権利」の大きさも決まるのだ。

世の中には「できるだけ責任を持ちたくない」という人がいる。そして「何かに対して主張すると、それに対して責任が発生する」という状況が往々にしてあるので「できるだけ責任を持ちたくない」人というのは「自己主張もしない」ことがほとんどだ。そして、中には「自分の人生に対してさえ責任を持ちたくないので、他人に言われるがままに生きる」という人もいるでしょう。

私も学生の頃は「何かに対して責任を持つ」ということに対して恐怖心を持っていたので、必然的に「何かに対して主張する、ワガママを言う」ということもほとんどしませんでした。なので「できるだけ責任を持ちたくないから自己主張もしない」っていう人たちの気持ちも、正直に言えば分かります。

ただ、そういう人がこの文章を見ているなら、お伝えしたいのは「今、生きるのつらくない?」ってことです。私は「何らかに対して責任を持つことのほうが生きるのが辛くなる」と勘違いしていたのですが、何らかに対して責任を持つほうが生きるのが楽です。自己主張するほうが生きるのが楽です。ワガママを言う方が生きるのが楽です。

それに、せっかくこの世界に生まれたんだから、やっぱり「他人に言われるがままに生きる」よりも「自分の思うがままに生きる」方が良いと思う。だってせっかく生まれたんやで?いつか死ぬで?だから、責任回避的な人も少なくとも自分自身の人生に対しては責任を持ったほうが良い。多分私達は「自分の人生に対して責任を持とう。思うままに生きよう」と思った時点で、ようやくこの世界で「私」というキャラクターを私自身で操作できる『プレイヤー』になれるんだと思う。他人に言われるがままに生きて『村人A』のまま「防具は装備しないと意味がないぜ」っていうセリフしか言わないまま死ぬって悲しくない?だから皆、ちゃんと自分の人生は自分でプレーするんだ。

この世界は責任を持つことでこそ楽しく生きていけるのだ。だから皆、ちゃんと戦って。ちゃんと主張して。ちゃんとワガママを言って。

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