文学ファイター

私が何度も同じような話を書くのは次の試験で出るからです。決して「最新の記事が『殺意』の話してるってマズイやろ。とりあえず最新の記事じゃなくなるように適当に記事を書いとこう」って思ったわけじゃないです。決して。

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自分の人生を他人のせいにしない

なんか前回の平成最後の記事で「殺意」の話をしてしまった。待って。私そんなにヤバイ人間じゃないから。待って。私本当にユルフワな優しい人間だから。待って。今だってちゃんと社会人してるもの。あ。してない。無職だ。助けて。

せっかく令和最初の記事なので、何かいい感じのことを書いておこう。

「自分の人生を他人のせいにしない」について。

「自分の人生を他人のせいにしない」は、たぶんナチュラルにできる人がいる一方、私みたいに紆余曲折あってようやく出来るようになる人もいるのだろう。私もナチュラルに出来ればよかった。

なんだか「自分の人生を他人のせいにしない」はとても難しいことのように聞こえるかもしれないけれど、なんだかんだ「自分の人生を他人のせいにしない」が結局一番楽な生き方の気がする。

例えば私が不幸になったことをAさんのせいにしていて、私は私の不幸は「原因X」を取り除けば治ると思っていたとしよう。

私がAさんに文句を言うと、Aさんは非を認めて「原因Y」を取り除くのだ。いや!私が取り除いてほしいのは「原因X」であって「Y」では無いのだ。

でも、私はかたくなに自分の人生に自分で責任を持ちたくないので、再びAさんのせいにして文句を言うのだ。「Xを取り除いてほしいのだ!」と。でも、Aさんはイマイチぴんと来て無くて、今度は「原因Z」を取り除くのだ。ちがう。そうじゃない。

――みたいになったらすごくバカらしくない?もうそんなことなら自分の人生を他人のせいにせず、自分の責任として、自力で原因Xを取り除いたほうが早いわ。

私は昔「私はこんなに善人なのに私は不幸だ」と勝手に思ってたけど、当時私は「道徳の通りに生きるので、私を幸せにしてください」という風に、自分の人生を「道徳」のせいにして、自分で責任を持っていなかったから不幸だったのだ。自分の人生の責任を「道徳」に押し付けても、幸せになれるとは限らないのに。

私が宗教を信じないのは、宗教を信じると、自分の人生の責任をその宗教に押し付けてしまいそうだからだ。

自分の人生の責任を「道徳」や「宗教」や「他人」に押し付けるよりも自分で管理して自分でコントロールしたほうがよっぽど楽しい人生を送れるわ。

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