小説シンガー

うちの弟が馬鹿なんです。

3ヶ月前、私の体に病魔が見付かった。医者に「ほぼ手遅れだ」と言われた。

私は選択を迫られた。成功する確率の低い手術を受け可能性に賭けるか?残りの短い人生を痛み止めの注射などを受けながらゆっくり過ごすか?

私は最初、残りの短い人生をゆっくり過ごす方を選択しようとした。手術なんて怖いし、何より私には特に無理してでも病気を治して生きていかなければならない理由が無いように思われた。

でも、弟が手術を受けるべきだと頑なに主張してきた。弟は、姉の私が言うのもなんだが──お姉ちゃん子だった。

私達家族は母子家庭だった。父は、私たちが物心つく前に亡くなった。母は私達姉弟の為に朝から晩まで働いた。自然、二人っきりで過ごす時間が長くなり、結果として私達姉弟は固い結束で結ばれた。

私の弟は、馬鹿だった。

昔、私達姉弟は、母に内緒で野良犬を拾ったことがある。貧乏な我が家では犬を飼えないことは承知していた。でも、その犬は私達姉弟になついてくれた。私たちは必死で世話をした。自分達の食べるご飯を減らし、残った分を後でこっそりとその犬にあげたりしていた。ポチと名付けたその犬は、出会った当初はかなり衰弱していたが、私達の努力で、少しずつ元気になっていった。

ある日、ポチは死んだ。理由は分からない。ポチの様子を見に行ったら、血溜りの中にポチの姿があった。私たちは泣きながら母に助けを頼んだ。母は、私達の為にポチのお墓を作ってくれた。

弟は私に聞いた。
「ポチはどうなったの?」
私は答えた。
「天国へ行ったのよ」

次の日、弟は私に地図を広げて聞いた。
「天国って何県?」

そんな馬鹿な弟は何とか高校を卒業したものの、その後職にありつけずプータローをしていた。時々思い付いたようにアルバイトをしてはすぐクビになっていた。

でも、「手術をすべきだ」と主張した弟は、その日から猛烈に働き始めた。手術代を稼ぐためだ。朝から晩までアルバイトをやり、クビになってもすぐに次のアルバイトを見つけて働き始めた。

私は、弟の熱意に押され、手術を受ける決心をした。手術は、成功する確率は20%。失敗すると、場合によれば命にかかわる。

ただ、私はもし手術が失敗して天国へ行ってしまっても後悔しないだろう。あの馬鹿な弟が本気を出せば、ここまで頑張れる。彼はきっと、私がいなくても生きていけるだろう。

手術当日、母と弟を前に私は言った。
「私の人生、はかないものだった。でも、もういいの」

それを聞くと、弟は
「そんなこと言うなよ!」
と叫んだ。

「そんなこと言うなよ!……ちょっと待ってろ!!」

そう言って弟は病室を飛び出した。

今まで私の為に頑張ってくれた弟に対して、ちょっと言う言葉が悲観的過ぎたかもしれないと反省した。

弟はなかなか帰ってこず、手術間近、いよいよ私が手術室に運ばれるという段階になってようやく姿を見せた。

「姉ちゃん!見ろ!」

弟は私に写真を見せた。十年前にポチを埋めた墓の写真だ。隣に、今までなかった木で作られた十字架があった。

弟は言った。
「姉ちゃんの墓だ!」

空気が凍った。私は頭がパニック状態になり、医師たちは「で、では、行きましょうか」と逃げるように私を手術室へ運んだ。

手術室へ運ばれたとき、やっと私は理解した。馬鹿な弟の思考回路を。

私の人生、「'はか'なくない」。

あぁ、このまま私が誰にも弟の思考回路を説明できなければ、弟はただの非道な人間というレッテルを張られてしまう。

きちんと母に説明しなければ。そして、弟に一般常識というものを教え込まなければ。

──そのために、私は生きて帰らなければ。

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