
平常狂です。今日も、いつも通り狂っております。
嘘です。私の名前はジョーです。「へい!ジョー!」って呼びかけてくれれば、「うっきょー!!」って応えます。はい。やっぱり平常狂ですね。でも、平城京って覚えてね。
奈良時代の日本の首都です。もちろん、奈良にありました。
710年に平城京が都になったので、「なんと(710)狂った平城京」って覚えてね。

中央から地方へ派遣されて、地方の政治やら行政やら軍事やらを行った人達の事を国司といいます。
昔はインターネットも電話もなかったので、地方を国が司る要として、結構重要な存在でした。
覚え方は、「俺、国の国司なんだー。そして、国から酷使されてるんだー」です。
ま、まさか親父ギャグ!?って私を馬鹿にしながら覚えましょう。

国司の下で働いて、一緒に地方を治めていました。
国司は中央から派遣されるのに対して、郡司は元々その地方に住んでいた有力者が任命されていました。
また、国司は任期(その仕事を任される期間)があったのに対して郡司には任期が無く、死ぬまで郡司だったりしました。
ちなみに「郡」というのは、今で言う栃木県とか佐賀県とかの「県」の意味と同じだと思ってくれて構いません(正確にいえば、「郡」は今の「県」よりももっと範囲が狭いです)。
郡を司るから郡司なんですね。

流行のブランド「ダダダ」が作ったお財布。「ダザイフ」!うそ!
北九州に作られた地方行政機関です。
九州は大陸と近かったので、外交の主な玄関口として使われました。
また、大陸から敵が攻めてこないように日本を守る軍事拠点でもありました。
お財布がお金を守るように、太宰府は日本を守っていたんですね。

この時代に流通していた貨幣(お金)です。
これ以前にも貨幣があったようですが、これが日本で初めて広く流通したお金だと言われています。
イメージキャラクターとしましては、「ワドウカイチン」の「カイ」を怪力の「怪」にかけまして、筋肉ムキムキにしてみました。
もちろん、チンチンもでかいです。

6才以上の男女に田畑(口分田)をプレゼントする制度。
でも、ちゃんと耕してね。もちろん、口分田から税を納めてもらいますよ。
あ、死んだら返してね。
みたいなね。みたいなね。
中国の唐の制度「均田法」をモデルにしました。

この時代の税租庸調の一つ。
田んぼで取れた米の何パーセントかを国に納めてね。
みたいなね。みたいなね。

この時代の税租庸調の一つ。
京都まで来て働いてね。
嫌なら布・綿・米・塩とかを代わりに頂戴ね。
みたいなね。みたいなね。

この時代の税租庸調の一つ。
繊維製品を納めてね。無理なら地方特産品でもいいよ。ダメなら金でもいいよ。
みたいなね。みたいなね。

大陸から敵が攻めてくるかもしれないから防御の為に用意された兵士、防人。
「行きたくないのに無理やり九州に行かされて防人やらされるなんて、やってらんねーよなー」っていう防人たちの心の叫びを歌った歌を防人歌という。

743年。
「田んぼを新しく作ったら自分の物にして良いよ」っていう制度。これにより、公地公民の制度が崩れた。
公地公民の制度は「土地も人間も全て国の物だ!」っていう制度なんだけど、いくら自分が頑張って新しい畑を作ったり田んぼを耕しても、全部国に取られてしまうんじゃあヤル気も無くなってしまうよね。それによって生産性が落ちてしまうんだ。いわば、現在の社会主義のような制度だね。
これに対して懇田永年私財法は、頑張れば頑張るほど自分にの利益が増える制度。もちろん、人々の労働に対するヤル気がアップ!現在の資本主義のような制度だ。
でも、これによって中央の権力の力が衰え、逆に地方の権力者が力を持つきっかけにもなった。

701年〜756年
この時代、災害や疫病が多発したため、ワシは深く仏教に帰依した。苦しいときの神頼みじゃ。
奈良県の東大寺を作ったのもワシじゃ。
あの有名な鑑真さんとも会ったぞ。
また、耕されない荒地が多かったため、743年には懇田永年私財法を作った。

皇族や貴族を中心とした華やかな仏教文化。

聖武天皇や光明皇后ゆかりの品など、天平文化の美術工芸品を数多く収蔵する東大寺の倉庫(のようなもの)。
もちろん現在も存在するけど、一般人は入っちゃダメだぞ。
日本の文化だけじゃなくて、当時の中国やペルシアからの輸入品も含めた宝の倉庫だ。
なお、泥棒対策により、いざとなれば正倉院自体が二足歩行型戦闘用ロボットになることは広く知られており、あのルパンでさえ侵入を断念したのはあまりにも有名。

日本最古の歴史書。
神話の時代からこの時代までの事が記述されている。

地方の伝説や国名をまとめた書。

日本に現存する最古の歌集。
歌って言っても「らららららー」の方じゃなくて、短歌とか俳句とかの詩の方ね。
「絵が手抜きじゃない?」っていう疑惑もあるかもしれないけど、これは「ただの手抜き」じゃないんだ。
「ものすごい手抜き」なんだ。

688年 - 763年
唐で生まれた偉い僧です。
唐に、はるばる日本から栄叡さんと普照さんがやって来て「ぜひ日本で仏教について教えてほしい」と懇願され、弟子達に「誰か行きたい人ー?」って募集してみたけど誰もいなかったから、「じゃあ、俺がいったるわー!っしゃー!」って言いました。
当時、船で海を渡るとて言うのは命がけの大仕事でした。
5回も渡航に失敗して、挑戦から十年もかかってやっと辿り着きました。
日本人には仏教の他、彫刻、薬草についてなども教え、また悲田院も作って貧困救済にも取り組みました。
波乱万丈だったけど、良い人生だったと思う。