
1305年 - 1358年
後醍醐天皇が挙兵した際、討伐のために幕府軍を率いたのが足利尊氏だが、反幕府側に寝返り六波羅探題を滅ぼした。
その後、後醍醐天皇と対立。室町幕府を開く。

1336年 - 1392年
足利尊氏の裏切りによりピンチに陥る後醍醐天皇。元幕府軍大将であった足利尊氏に敵うわけもなくちょっと下手に出て従った振りをしてみたりする後醍醐天皇。
だがその後、後醍醐天皇も勢力を築き抵抗。
諸国の大名を巻き込み、世界は!北朝側の足利尊氏と南朝側の後醍醐天皇に分かれて戦うことになる!
なお北朝と南朝と言っても単純に日本の北側が北朝で日本の南側が南朝に分かれた……わけではなく、本当に全国各地バラバラに「北朝につくぜ」派と「南朝につくぜ」派に分かれたのです。
最終的に南朝側の勢力が衰退し、室町幕府第三代将軍足利義満(北朝側のボス)によって北朝側が南朝側を吸収合併する形で南北朝時代は幕をおろす。
「アシカがきた!」って覚えよう。

鎌倉時代の元寇の際に鎌倉幕府は御家人に褒美である土地をあげることが出来ず、幕府と御家人たちの主従関係は薄れていった。
これに代わり土地をあげることが出来た守護は御家人との関係を次第に深めていった。
室町時代になると室町幕府は南北朝の争いで守護を味方につけるために地方の荘園の年貢の半分を守護に与えるようになり、守護の力はますます強くなった。
富と力を手に入れた守護はだんだんと室町幕府の命令を聞かなくなり、それぞれが独立した動きを見せるようになった。
このように地方の国を支配するようになった守護を守護大名という。

1358年 - 1408年
室町幕府の第三代将軍(在職1368年 - 1394年)。
南北朝の合一を果たし幕府権力を確立させた。
鹿苑寺(通称・金閣寺)を建立して北山文化を開花させた。

通称・金閣寺。正式名称・鹿苑寺
「ろくおんじ」=「録音寺」みたいな連想でこんなイメージ図にしてみました。

日本の海賊。
朝鮮半島や中国大陸の沿岸部、内陸の一部などを荒らし回る。

日本と明(当時の中国)との貿易。日明貿易とも言う。
中国側が「お前ら倭寇をなんとかしろよ。あいつらうぜぇんだよ。あと、ついでに貢ぎ物よこせ(朝貢しろ)」と持ちかける。
明の大ファンだった足利義満も使いを送り、少しゴタゴタはあったものの、貿易が開始された。
なお、勘合とは絵のようなものであり、日本の貿易商人と明の貿易商人の互いの割符を合わせて合致させることで、お互いが偽りの無い(倭寇ではない)正式な人間であると証明した。

1467年 - 1477年
足利義満死後、守護大名が力を蓄え、少しずつ幕府の権力は衰えていった。
そんな中有力守護大名である細川氏と山中氏の権力争い!次期幕府将軍を誰にするかの争い!その他の大名たちの相続争いなどが複雑にからみあった応仁の乱が勃発!
争いは全国各地に広がり、決着はなかなかつかず!つかないどころか各地域で有力武家間の大規模な紛争が発生。中央の大乱とは別に各地で争いが起こり、世はまさに戦国時代へと突入する。

1467年 - 1573年
応仁の乱に始まった日本戦国時代。織田信長によって第十五代室町将軍足利義昭が京都から追放され室町幕府が倒されるまでの時代を言う。
日本各地で戦争が起こり、実力主義がはびこる。地位の低い者が上の者を倒す(下克上)ような現象も各地に見られた。

1534年 - 1582年
日本の戦国時代から安土桃山時代にかけて世に多大な影響を残した戦国大名。
当時の常識や権力にとらわれず、新しい文化や技術を積極的に取り入れ、天下統一寸前までいくが、部下の明智光秀に裏切られ(本能寺の変)自害する。
当時まだ能力が疑われていた鉄砲を積極的に取り入れたり、身分によらず能力によって部下を採用するなど先見の明に富んでいた。
また楽市・楽座によって独占販売権などの特権を持つ商工業グループを排除して誰でも自由に商売できる自由取引市場を作った。
愛称「大馬鹿者(大うつけ)」

1537年 - 1598年
下級身分の出自だが織田信長に仕えて頭角を表す。
本能寺の変が起きた際は他の場所で戦闘中であったが急いで講和を結び京都に引き返し明智光秀を討った。
その後天下統一を果たし戦国の世を終わらせた。
田畑の測量と収穫量の調査で複雑な土地所有関係を整理し、土地制度を一新。荘園制度を完全に終わらせた。また、測量に際してものさしを統一(計る単位を統一・つまり度量衡の統一)させ、それまで計る単位がバラバラであったものを全国的に統一させた。これらを太閤検地という。
当時は農民と武士の身分の境が曖昧で農民が刀や槍などの武器を持つこともあったが、農民の反乱(一揆)を抑えるために刀狩りを行い、農民が武器を持つことを禁止した。
1592年から1593年にかけて明の征服を目指し大陸へ大軍を出す。朝鮮半島が戦場となった(文禄の役・慶長の役)。秀吉の死により日本の軍は撤退したが、これにより朝鮮は全土が荒廃。また、明も戦のための多額の出費により、後の滅亡の遠因となった。
愛称「猿。ハゲねずみ」