
574年 - 622年
用明天皇の第二皇子。
574年2月7日、橘豊日皇子と穴穂部間人皇女との間に生まれる。

後の用明天皇のことだよ。

用明天皇の妻です。聖徳太子を生みました。
聖徳太子の出産については厩戸(うまやど・馬を飼育している所)で生んだという伝説がありますが、真実かどうかは不明です。
585年、敏達天皇が亡くなられ、聖徳太子の父である橘豊日皇子が用明天皇として即位する。

この頃、ラブ仏教派の蘇我馬子と

「仏教は素敵な宗教だよ。ぜひ日本で広めるべきだよ」
仏教とか信じられんわ!派の物部守屋が

「仏教って外国の宗教だろ?外国の宗教を取り入れちゃうと、日本の神様に失礼に当たるだろ」
仏教を受け入れるかどうかについて激しく対立していました。
用明天皇の死後、誰を次の天皇にするかで遂に蘇我馬子と物部守屋が軍事的に衝突します。
用明天皇は蘇我馬子と血縁関係があり、どちらかと言えば蘇我馬子派でした。聖徳太子も用明天皇の息子だったのでもちろん蘇我馬子派です。主流派になった蘇我馬子派が物部守屋を追い詰めた!っていうこの戦いには、聖徳太子も馬子派として参加していました。
しかし!軍事氏族の物部守屋もそんなに簡単には負けません。矢を大量に降らせて馬子軍を三度も撃退します。三度目の正直とか嘘ばかりです。

「くははははは!どうした、馬子め!そんなに大軍を率いても私を殺すことは出来ないのか!!やはり仏教はまがいものの宗教なのだ!!私は古来よりの日本の神に守られているのだ!!」
ここで聖徳太子は仏に誓いを立てます。

木を削って四天王の像を作り、勝利を祈願します。「俺、この戦いに勝ったら、仏様のために塔を作って、仏様の教えを皆に広めるんだ──」
この願いが仏様に届いたのかどうかは分かりませんが、馬子軍は再度攻め立て、物部守屋はついに矢を喰らって討ち死にし、滅亡しました。

「く……。私を殺しても、我が意志を継ぐ者が貴様を必ず討ち滅ぼすぞ!ぐあー……!!」
その後、馬子は崇峻天皇を即位させます。崇峻天皇は敏達天皇、用明天皇、推古天皇の異母弟にあたります。

しかし、天皇よりも、むしろ物部氏を滅ぼした蘇我氏に権力が集まってしまいます。
「やっぱり蘇我馬子は頼りになるなぁ。今度なにかあったら、絶対蘇我馬子の味方になろう!」
政治の実権までもを蘇我氏が握るようになり、崇峻天皇と蘇我氏の対立が深まります……。

そして592年。蘇我馬子がついに東漢駒に崇峻天皇を暗殺させます。

天皇を暗殺してもなお堂々と政権の中枢に居座る蘇我馬子。もはや権力の暴走は誰にも止められないのか!?
蘇我馬子はまず崇峻天皇の次の天皇として、初めての女性の天皇、推古天皇を擁立します。

日本初の女帝。東アジア初の女性君主。
つづく