
538年? - 585年
在位572年 - 585年
第30代天皇。
欽明天皇の第二皇子。母親は宣化天皇の皇女・皇后石姫皇女。

「欽明天皇だよ。うちの子供の敏達天皇はいい子だよ」
初めは『百済大井宮(くだらのおおいのみや)』を皇居としたが、占い師が「こっちに引っ越した方がいいことあるぜ!」って言ったので訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや)に引っ越す。

訳語田幸玉宮は現在の奈良県桜井市戒重です。ちなみに引っ越す前の百済大井宮は大阪府河内長野市太井・奈良県北葛城郡広陵町百済・大阪府富田林市甲田・奈良県桜井市など諸説があって判明していないそうです。
大連には物部守屋が。

「モノノベノモリヤだよ。連(むらじ)っていうのは大和政権で使われていた称号(姓)の一つで、家臣の中では最高位に位置していた称号だよ。この連の称号を名乗る氏族の中でも最も有力な者を大連(おおむらじ)と言うんだよ」
大臣には蘇我馬子がなった。

「ソガノウマコだよ。臣(おみ)っていうのも称号(姓)の一つで、連と並んで高位の称号だよ。大臣(おおおみ)は各大王の治世ごとに天皇が任命するんだよ。つまり、私は敏達天皇に任命されたということだよ」
外交においては父親の欽明天皇の遺言である任那復興を目指して百済と協議していたが、ほとんど進展は見られなかった。

「任那(みまな)だよ。任那っていうのは日本が支配していた朝鮮半島の南部地域だよ。戦争に敗れて562年に新羅に統合されたよ」

「百済(くだら)だよ。朝鮮半島南西部にあった国で、日本と仲がよかったよ」

「新羅(しんら)だよ。朝鮮半島南東部にあった国で、任那を征服してやったよ。でも、日本に言われて任那の税の一部(調)を日本に渡していたよ」

この時代の簡単な朝鮮半島の地図です。位置関係を分かりやすくするために日本も無理やり描きました。小さくてごめんなさい。ちなみに、時代によって領土が変わっていってるので、これが正確な地図な訳ではありません。
仏教政策では、敏達天皇は「仏教はあんまり信じられませんなー派(廃仏派)」であり、同じく廃仏派の物部守屋と中臣氏が勢いづき、それに「仏教信じようぜ!派(崇仏派)」の蘇我馬子が対立するという構造だった。

古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。称号(姓)は連(むらじ)。
物部氏とともに仏教受容問題で蘇我氏と対立した。
ちなみに、後年大化の改心で活躍した中臣鎌足は中臣氏の一族の一人。鎌足の子孫は藤原姓を貰って以降藤原氏と名乗ったが、本系は依然として中臣氏を自称した。

「No 仏教!!」
585年8月15日、病の為に死去。

ちなみに葬式で馬子と守屋は互いに悪口を言い合った。