文学ファイター

私のサイトにだけ人が来ないのは差別だ。

差別

世の中から差別っていうのは絶対に無くならない。なぜなら、人間……に限らず、生命には個性というものがあるから。

例えば、ある日突然全身に百の目玉を持つ宇宙人の転校生が来て「差別はいけないので、地球人と同じように仲良くしましょう」って言われても無理じゃん?

例えば、全身にうんこを塗りたくる部族がいたとして、「差別はいけないので、文化の違いを乗り越えて仲良くしましょう」って言われても無理じゃん?

かといって、百の目玉を持つ宇宙人のせいでもないし、全身にうんこを塗りたくる部族のせいじゃないじゃん?宇宙人はどう頑張っても目玉を減らせないし、うんこの部族は「うんこを塗りたくらないことは神への背信行為」とかだったら、うんこを塗りたくるのをやめられないじゃん?

関西は、多分日本で一番差別がある所です。

私が学生の頃初めて関西に行って驚いたことは、「知障(ちしょう)」っていう言葉が相手への悪口としてメジャーな存在であること。「は?お前、知障かよ」っていう使い方をする。「知障」って、「知的障害者」の省略語なんだけど、初めて聞いたときは衝撃的だった。「え?それ、ものすっごーく言っちゃいけない差別用語じゃない?」って思った。びびった。

でもって、そんな関西が多分、そういう差別を乗り越えるために作ったのが「お笑い」なんじゃないかと思う。

「ボケ」と「ツッコミ」っていうのがあるけど、多分原型は「社会に適応できないいじめられっ子」と「いじめっ子」じゃないですか。だって、ツッコミは殴るんですよ?ボケを。

あのボケとツッコミっていう組合せのお笑いは日本独自なんだそうな。しかも、そんなに昔っからメジャーなもんでも無かったと思う。確か、私が小さい頃テレビを見ていて母親が「なんで殴るんだろう?」って言っていたから、多分、なんとかメジャーになったのが25年くらい前からとかそんな感じで歴史が浅い……はず。

でも、あれは差別に対処するための、もっともベターな方法だと思う。差別される側は、どうやっても「差別される理由を取り除けない事情」があって、差別する側はどうしても「ぬぐえない違和感」があるじゃん。それを解決する唯一の方法はやっぱり「笑いに持っていく」しかないと思う。

ブスっているじゃん。ブサイクっているじゃん。でも、彼らがブスなのもブサイクなのも彼らのせいでは無いじゃん。でも「お笑い」という文化があるおかげで、あいつら、今、テレビの世界で最高に輝いちゃってるじゃん。

多分、関西が「お笑い」を発明しなければ、差別される側は虐げられたままの一生を送っていたと思う。

関東人がたまに関西のお笑いに違和感を感じるのは、多分それは「イジメである」という空気を持っているから。でも、関東人は関西人ほどうまく「差別に対処する手段」を持っていないと思う。確か、関東出身のお笑いの人って、関西出身のお笑いの人に比べてブスが少ない。「差別を笑い飛ばす」っていう文化が関東にはまだ根付いていない。そして、それは「イジメのようである」という空気を持っている限り仕方が無い面もある。

差別は無くすことは出来ないけど、差別を「笑い」に持っていくことは出来ると思う。「嘲笑という笑い」というよりは「違和感への緩和という笑い」という意味で。

オカマ文化も最近日本になんとか根付いてきたけど、あれも「お笑い」から適合させたじゃないですか。おネエマンズとかいう番組で。

で、まぁ、差別は無くせないけど、不器用なりにも「笑い」という対処法を発明した関西はすごいねって話。

このエントリーをはてなブックマークに追加