文学ファイター

集団心理というよりは自己責任の話かな。

集団心理の話

グループ作業をしています。で、しばらく集団で作業していて気がつきました。集団作業をしている人間は2種類に分けられます。

自分に責任があると思っている人と、自分に責任は無いと思っている人です。

自分に責任があると思っている人は頑張ります。なぜなら、失敗したら自分のせいだから。

自分に責任は無いと思っている人は頑張りません。なぜなら、失敗しても自分のせいでは無いから。

だから、優秀な人間っていうのは真面目に頑張って出世するけども、いつの日か責任を感じて鬱病になり、ダメな人間っていうのは他人の頑張りに乗っかって自分も何かしらの仕事をしている気になり、責任をとらないクセになぜ自分がいつまでも下位にいるのかと文句を言うのでしょう。

だから世の中で一番幸せな状態っていうのは、失敗しても自分にだけ損害が及び、他人には何ひとつ損害をあたえない状態。頑張ればその本人にだけ利益が与えられる状態だと思う。

と考えると、個人プレーというのがもっとも理想的な労働環境となるわけだ。

でもって、もともと農耕民族だった日本人は、集団で協力しなければ食糧を手に入れられなかったという時代を経てしまって、個人プレーという文化があんまり無い。

開拓民族のアメリカ人は、全て自分の責任において行動してきたから個人プレーという労働環境がある程度実現されてる。

いいなー、アメリカ。

だから、アメリカの(きっと、自分に責任があると感じてる)一部はすごく頭が良くて、それ以外は皆頭が悪い(責任をあまり感じてない)。日本は平均して質が高いけど飛びぬけた天才というのはあまり存在しない。

でも、社会環境の高度化・複雑化により、個人プレーに対して集団労働の優位性が事実存在する。

アメリカに比べて土地面積も労働人口も圧倒的に少ない日本という小国がある程度世界とやっていけてるのは、農耕民族時代に集団労働のノウハウをある程度蓄えていたから。

アメリカと同じ個人プレーの国だったら、日本は多分先進国にすらなれていない。だって、そもそもの母体である人口そのものがそんなに多くないから、存在する天才も相対的に少ないに決まっているから。

日本が小国ながらここまでやってこれているのは、世界で初めて全ての人間が平均的に質が高い(飛びぬけた天才が現れにくいけど)っていう、集団労働のある種の極致に達していたから。

でも、その結果は社会的な幸せの実現であって、個々人の幸せの実現ではないんじゃなかろうか。

日本でニートが問題になってるけど、それは「生存するという責任」がニート自身では無く、家族という集団で共有されているから。

多分、戦乱期とか飢饉の時代とか生存するのが大変な時代だったら、日本式のやり方はかなり効果を発揮すると思う。なぜなら、「生存する責任」や「食糧を生産する責任」が集団で共有され、結果、生きていくのも大変な弱者がある程度、社会という名の集団に助けられるから。つまり、日本のやり方は弱者にやさしい、下を救う社会な訳だ。

でも、今みたいな平和な時代には、「生きるか死ぬかという瀬戸際」まで悲惨な人間の絶対数が少ないから、「弱者」というよりも、むしろ「ダメ人間」が現れてくる。「責任」が自身では無く社会に共有されているから。

「ということは、金融危機というこれからの動乱の時代は日本有利じゃね?」って思う人もいるかもしれないけど、現在の社会の仕組みは結構上手にできてるから、やっぱり「生きるか死ぬかまで追い詰められる人間」っていうのはそれほど増えるとは思えない。むしろ、「社会がある程度不安定だから、俺が働かないのは俺のせいじゃなくて社会のせいだ」みたいな人間がもっと増えてしまうんじゃなかろうか(自分で働こうと努力する人を除く)。

そんなおカタい話をしている私の近況としましては、最近、女優の宮崎あおいさんが可愛いことにようやく気づいたので、今更ながらにファンになりました。でこっぱちが好きです。

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