文学ファイター

ごめん。根拠なくテキトーに話してる。

従属欲求

例えば私達はなんとなく自由を求める「自由欲求」というものを持っているけど、多分「自由欲求」は後から人為的に手に入れたものだと思う。だって人間はサルが進化した動物だし、サルに「自由」という概念があるとは思えない。じゃあ、一体サルにはどのような欲求があるのだろう?サルと言えば、ボス猿が群れを支配して行動する。つまり、「誰かを支配したいという欲求(支配欲求)」と「誰かに付き従いたいという欲求(従属欲求)」があるのではないだろうか。そして、サルが進化した動物である私達人間も、生まれつき「支配欲求」と「従属欲求」のいずれかを持っているのではないだろうか?

もしそうだとするのなら、私は「支配欲求」ではなく「従属欲求」を持って生まれてきたと思う。だって私は本当は「何も考えずに生きていい」なら何も考えずに生きていきたいし、「流されるままに生きていい」なら流されるままに生きていきたい。だから実際私は子供の頃はあまり深く考えずに生きていたし、流されるままに生きていた。

でも、流されるままに生きても基本的に辛いことばかりだった。

だから私は正直「自ら進んで」自分の頭で考えるようになり、「自ら進んで」自分の人生を自分で決めるようになったのではなく、「仕方なく」自分の頭で考えるようになり、「仕方なく」自分の人生を自分で決めるようになったのだ。

あのままだともうすぐ死にそうだったので「従属欲求」よりも「生存欲求」を優先させたのだ。

だから私は元々大したことがない弱い人間だったし、今も大したことがない弱い人間です。昔よりは頑張ってるけど。

だから、もしこれを見ている人の中で流されるままに生きていて、そして辛いことばかり起こっているなら、もう流されるままに生きることを諦めて、「仕方なく」自分の頭で考えて、「仕方なく」自分の人生を自分で決めるようになったほうが良い。

きっと、考えないことは罪なのだ。自分の人生を自分で決めないことは罪なのだ。

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