文学ファイター

ごめん。今日は普通の日記。

2018年4月24日の日記

ごめん。前回から更新期間が空いたから、何か書こうと思ったけど、特に大したことは書けなかったので、今日はただの日記です。

姉に「会社辞めて幸せになった?」って聞かれたので、「幸せになったわけではないけど、不幸はなくなった」って答えたら「それは幸せになったってことじゃない?」と言われた。私の中では「幸せ」っていうのは「何かプラスが存在する状態」のことであり、「不幸」っていうのは「何かマイナスが存在する状態」のことだ。会社をやめて「強制的に会社に行かなければならない」という状態が無くなったので、私の中ではマイナスの状態が無くなり、不幸がなくなったけど、何か新たにプラスが現れたわけではないので、幸せになったわけではない。

今、私は幸せでもないし不幸でもない。普通。ノーマル。ニュートラル。将来を悲観してないし、楽観もしてない。絶望もしてないし、希望も持ってない。「じゃあ、最近何やってるんだ?」って聞かれると、主に「犬の散歩」と「お風呂掃除」と「お風呂を沸かす」をやっている。ものすごく平和な日常を過ごしてる。

以前2017年が終わるので何か書きたいで人生で配られたカードの話をしたけれど、そこで私は「カードでの戦い方がようやく分かってきたのは26歳か27歳くらいのころ」と書いた。では、それまでなぜ死なずに生きることが出来たかと言うと、私の人生に配られたカードで、そこそこ強い防御カード「家族仲が良い」があったからだ。多分、このカードがなければ私は死んでた。この文章を読んでいる、家族仲が良い方も「確かに『家族仲が良い』は、そこそこ強い防御カード」と納得していただいていることでしょう。私の家族は昔からずっと家族仲が良いので、てっきり他の皆も家族仲が良いのかと思ってたけど、家族仲が悪いところもそこそこあると知って、私は恵まれてる方なんだな、って思った。

というわけで、会社を辞めて無職になった今も、家族に怒られること無く普通に実家でぬくぬくと過ごしている。私が卑怯なのではない。私はきちんと配られたカードで人生を勝負しているのだ。配られたカードは活用しなければ。

会社を辞めて思ったことは「私がお金を貯められたのは、やっぱり私が無欲だからだな」ってことだ。会社を辞めたけど、特に「強烈に何かをしたいぞ」っていう思いは生まれてない。映画を見まくりたいわけではないし、マンガを読みまくりたいわけではないし、旅行をしまくりたいわけではないし、音楽を聞きまくりたいわけではない。だから、生活レベルは会社をやめる前と後で基本的に何も変わってない。

確かに「苦しいこと、辛いことからは逃げたい」という欲はあって、そこから実際逃げたけど、「お菓子を食べたいとかアニメを見たい」とかいう進んで何かをしたいという欲がない。そういう人格だからこそ小さい頃私はあまりワガママを言わなかったんだな、って思う。基本的に与えられた環境でそこそこ満足する方だし。足るを知ってるし。

人生の後悔に関して。

「人生をやりなおせるなら、いつからやり直したい?」っていう質問は皆さんもされたことがあるでしょう。正直、私、やり直さなくても良い。この人生で別に不満はない。確かに私の人生の大部分はつらいことばかりだったけど、でも当時の私は当時の私なりのベストをやってたと思うし、今の記憶をもったまま昔に戻ったとしても、当時よりうまく立ち回れるとは思わない。大学一年の頃は普通の人生をドロップアウトして、人生が詰む寸前まで行ったけど、今思えばあれも私の人生にとっては必要なことだった気がする。

私の人生は大学までは「良い高校に行って良い大学に行って……」っていう親に言われるままの人生を歩んでたけど、大学以降は自分で自分の人生を決めてる。そして、自分で決めた人生の全ても、別に何も後悔してない。大学卒業後に専門学校に行ったけど、そこそこ楽しかったし、その後就職したことに関しても良い経験になったし、会社も別にブラック企業じゃなかったし。そして、会社を辞めたことも後悔してないし、やめたタイミングも後悔してない。

これから何して生きていこうかな、っていうことに関して。

以前婚活を始めたで婚活始めたって言ったけど、最近は「別に急いで結婚を狙わなくても良いかな」って思い始めてる。結婚すると、こんなにフラフラした生き方が出来なくなる気がして。せっかく一人の自由時間を得たんだから、もう少しこのフラフラを楽しまないともったいない気がしてる。とか言っている内に結婚できなくなる気もするけど。同じ婚活を始めたの記事内で「何かで名を残そう」と書いた。ちゃんとネタもあるんだけど、最近は「別に名を残さなくても良くない?」って気持ちになってる。正直、誰でも思いつくネタなので、私がやらなくてもいつか誰かがやるだろうし。実はそこそこリスクもあるし。

じゃあ、私は生きている内に何をやって死のうかな。

twitterの名言botで見たんだけど、山本文緒っていう人が「人は何事かを成すために生きてるんじゃない。何も成さなくてもいいのだ。自分の一生なんて好きに使えばいいのだ。」っていう言葉を言っているらしくて、私はこれに凄く共感する。まったくもってその通りだと思う。適当に生きて適当に死のう。

最近はせっかく生きてるんだから、人生の思い出つくりに起業とかしようかなって思う。「起業したことあるんだぜ?」ってカッコよくない?もちろん失敗前提で起業しても良いんだけど、せっかく起業するならできれば成功したい。

起業に関する本もたくさん読んだことがあるんだけど、基本的には人は雇わないほうが良いらしい。人件費かかるからね。ってなると一人起業なんだけど、それって今一人でフラフラしてるのと何が違うの?って気もする。

また、起業するネタも難しいよね。例えば「絵を描いてそれを売る」とかカッコイイなって思うけど、多分これは失敗すると思う。なぜなら、私自身がそもそも絵を買ったことがないからだ。自分でも買ったことがないものが商売になるとは思えない。ハニワとか作って売ってみたいなとか思うけど、多分これも失敗すると思う。私自身がそもそもハニワを買ったことがないからだ。自分でも買ったことがないものが商売になるとは思えない。オシャレな起業とか面白い起業とかカッコイイ起業っていうのは皆もそこそこ思いつくと思うけど、ちゃんと稼げる起業ってなると途端に難しくなる。世の中の社長とか自営業とかフリーランスの人はマジで凄い。

だから、もし私が今の知識でちゃんと稼げる起業をするってなると、「株式投資」を企業として行うか、「不動産投資」で起業するしか無いと思う。

でも、調べたことがあるけど「株式投資」は法人でやるよりも個人でやったほうが税金的にお得らしい。つまり、企業として「株式投資」を行う意味がない。

「不動産投資」も長く続けてると、ナチュラルにヤクザと関わりをもったり、ナチュラルに家の中で人が死んだりするらしい。なにそれ怖い。

じゃあ、私が起業する意味がそもそもあるのか?って聞かれると、少なくとも私は「無職」ではなく「経営者」を名乗れる。ずっと「無職」の状態でいるのは、この世界ではそこそこなリスクだ。信用されないし。他のメリットとして、厚生年金を払うことが出来るってのがある。老後の安心度が増すのだ。

「すごい保守的な考え方だな」って思われるかも知れないけど、私は元々凄い保守的……っていうかビビりである。どれくらいビビりかというと、「別に定年退職まで働くのとか普通じゃない?」って皆がビビらないやつを、「定年退職まで働くって怖くない?人生の大部分が思い通りにならないって怖くない?」って考えちゃうくらいにビビりである。

もしかしたら、私が特に抵抗もなく無職になったのを見て「すごい自由人だな」って思ってる人もいるかも知れないけど、そんなことはなくて、私はビビリなので10年くらいそこそこちゃんと準備してから無職になったからね。基本的に臨機応変に何かをやることは苦手な代わりに、長期戦は得意なのです。10年後に楽をするために今苦労することが出来るタイプ。

というわけで、起業はしようと思う。人生の思い出つくりに。起業ネタは、戸建て投資を考えてる。一気に儲かる商売じゃない代わりに、そこまでリスクも高くないやつ。ただし、今私そこそこ無職出来る程度の資産はあるけども、思い切って起業に乗り出すというリスクを取れるほどの資産は無い。私は石橋を叩いて渡るタイプなので、もっとちゃんと資産を増やしてから起業しようと思う。具体的にいうと一年後くらいに。でも一年間それまで何もしないってのも暇だよね。旅行とかもっと行ったほうが良いだろうか。

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