文学ファイター

上を向いて歩こう。

日本人は下を見るようになってしまった。

バブル時代。「バブル時代」そのものには賛否両論あろうが、日本人は上を見ていた。日本の上には追いつくべき相手、アメリカがいた。バブルで浮かれていた日本はアメリカを完璧に追い抜こうと徹底的にアメリカを買い叩いた。当時、経済的にアメリカに肉薄する場面もあった。

でも、それでも当時、日本はアメリカに劣っていた。例えば、日本の公共事業などには裏金や汚職、天下りなどがありふれていて、昼に「ダム建設反対」と叫びながら運動していた人が、夕方には市長の知り合いに頼まれて「ダム建設賛成」と叫んで運動していることも度々あって、テレビはそれを「だから我々日本人はダメなんだ」と自虐的に伝えていた。

文化的にもアメリカは世界をリードしていた。赤い屋根、白い壁の大きな家。広い庭。アメリカのものは全てビッグサイズで、マクドナルドとかケンタッキーフライドチキンとかいうおしゃれなものの発祥地で、なによりハリウッド映画は世界中を席巻していた。それに比べて日本は、「外国に視察に言った役人がまた風俗店に行った」という話が毎日のようにニュースになっていた。

とにかく、経済的には確かにすごかった日本だが、やっぱり上にはアメリカがいた。日本人は、なんとかアメリカに追いつこうと頑張っていた。当時、日本は経済的には世界を席巻していたが自分の国のダメさも分かっていて、目標となる上を見て頑張っていた。

そして現在。日本は良い国になった。今でもワイロや汚職事件はあるが当時ほど酷くは無い。市民運動に堂々と参加でき、近隣の人との関係で渋々自分の意見と正反対の市民運動に参加しなければならないこともなくなった。家はあいかわらずそれなりの広さだが、特に不都合は無い程度の広さだ。マクドナルドとケンタッキーは家の近くにあり、ビッグサイズばかりがいいわけではないということも分かった。

なにより、文化的には日本はトップレベルになった。漫画やアニメなど日本人でさえ「これで文化のブームを作れるのか?」と思っていたもので、なぜかトップに躍り出れてしまい、そのオタク文化をきっかけに日本文化に興味を持った人がそこから派生してサムライや忍者、剣道、着物など、古来からの文化にも興味を持ってくれるという良い連鎖が生まれた。

日本人は、経済的にも文化的にもそれなりに満足できる位置にきた。正直、「今、日本より確実に上にいる国は?」と聞かれると、ちょっと逡巡する。日本以外に、戦争に参加しなくて良い国はそんなにない。夜中に安全に外をブラブラできる国もそんなにない。なにより、日本ほど漫画、アニメ、ゲーム文化が発展している国がそんなにない。日本には、明確に追いつくべき「上」が無くなった。

明確な上がいなくなった現在、日本は自分より下の相手を見下すようになってしまった。特に、中国と韓国に対して、日本は非常に見下した態度をとっている。でも、中国と韓国が現在の時点で日本よりまだ劣っているのは仕方のないことだ。中国で、「また公共事業でワイロが」というニュースがあったが、それは日本もかつて通った道だ。韓国で「また外国に視察に行った偉い役人が風俗店に」というニュースがあったが、それも日本がかつて通った道だ。日本はたまたま発展が早く、韓国と中国がやや遅れただけだ。韓国や中国はやがて日本が通った道の通りに発展し、最終的には日本と同じように、それなりに満足できる位置にくるだろう。

日本では今、おバカタレントが流行っている。彼らの発言は常識外れで面白い。彼らを見て、我々は安心するのだ。「あぁ、良かった。我々より下がいる」。最近日本は「下を見て安心する」という風潮になってきてしまっている。我々は上を見て「あれに追いつこう!」という明確なものを見失ってしまった。下を見ていてはダメなんだ。下を見ていては、安心はできるかもしれないが我々自身の発展は無い。

最近、「尊敬する人物は?」という質問に「いない」と答える人が多いらしい。実は、正直私にも特に尊敬する人物はいない。家族とは仲がいいが、家族を尊敬しているわけではない。私には彼女がいないので、彼女を持っている友達が羨ましいが、友達を尊敬しているわけではない。坂本龍馬は日本を変革した偉大な人物だが、そもそもあったことすらない人を尊敬なんかできない。私自身も、明確に目指すべき上がない。

我々は上を見なければならない。自分を奮い立たせるために自分より優れた人を見つけ、その人を追い越そうと努力しなければならない。でなければ、我々に発展は無い。私も上を見なければ。私より優れている、うちで飼っている散歩大好きな犬、タロウを見習って、まずは一日一回は外に出るようにしなければ。

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