文学ファイター

全く関係ない話だけど、プリンセスメゾンっていう漫画の孤独感溢れる世界観が好き。

お前は味方か?それとも敵か?

あなたは今まで道で誰か怖い人にカラまれたことある?私は幸運なことに人生で今まで一度も絡まれたことがない。だけど、人生で2度、目の前で歩いてた人が怖い人に絡まれる瞬間を目撃したことがある。

2回とも、歩いてた人が偶然、とある人にぶつかっちゃって、その途端ぶつかられた人が異常な攻撃性をもってぶつかってきた人に絡みだした。怖いよ。なにいきなりキレてるんだよ。わざとぶつかられたならまだ分かるけど、わざとじゃないんだよ?たまたまちょっとぶつかっちゃっただけじゃん。

例えば「ヒトを殺したんだけどわざとじゃないんです」とか言われたら、そりゃ切れていいよ。その場合はそいつボコボコにしていいよ。

例えば「あなたの目玉をひとつ潰したんだけどわざとじゃないんです」とか言われたら、そりゃ切れていいよ。その場合はそいつボコボコにしていいよ。

例えば「あなたの腕を骨折させたけどわざとじゃないんです」とか言われたら、そりゃ切れていいよ。その場合はそいつボコボコにしていいよ。

でも、私が見たのは二回とも、ちょっとぶつかっただけだったよ。わざとぶつかってきたなら、ちょっとぶつかってきた場合でも切れていいと思うけど、わざとじゃないよ?みんなもボーっと歩いてて、たまたま他人とぶつかっちゃったりすることもあったりするでしょう?そのいきなりキレだした人だって、人生で一度くらいはぼーっと歩いていて誰かとぶつかってしまったこともあると思うんですよ。なのになぜキレだしたのか。

ここからは私の思い込みのみで喋るんだけども、このキレた人は他人との関係性を「敵」か「味方」かで定義しているのではないだろうか。つまり、歩いてきた人がたまたまぶつかった途端、その人の中では「こいつ、突然ぶつかってきた……こいつ敵だ!」ってなってキレだしたんじゃなかろうか。それに怖い人ってなんか「仲間は大事だぜ」的なイメージあるじゃないですか。ワルそうな奴は大体友達みたいなイメージじゃないですか。

でも、普通の多くの人は、人にちょっとぶつかられてもキレたりしない。なぜなら、多くの人は他人との関係性を「敵か味方か」で定義していないからだ。例えば、私の他人との関係性の定義は「自分」か「家族」か「他人」かで定義している。なので、「他人」にちょっとぶつかられても「ああ、他人にちょっとぶつかられたなー」と思うだけで、別にその人は私の敵ではないのだ。なので攻撃もしない。

多分みんなも私の基本形に「友達」とか「恋人」とかがくっついた定義なんじゃないだろうか。え?なんで私の関係性の定義の中に「友達」と「恋人」が無いのかって?いないからだよ!

もちろんみんなも好きな人とか嫌いな人とかいると思う。なので、関係性の中に「好きな人」「嫌いな人」「仲良くできそうな人」「仲良く出来なさそうな人」とかいるでしょう。でも「敵か味方か」ではそんな考えてないと思う。もしうっすら考えてたとしても、関係性の定義の中で優先度低いと思うんだ。

でも、いきなりキレた人の中ではきっと「敵か味方か」は他人との関係性の定義の中で優先度が高いんだと思う。なんなのこいつ。戦争中なの?

しかし、なぜこの人たちは「敵か味方か」の定義が心の中で優先度高くなってしまったのか。考えてみたけども、実はこいつらは素直すぎるがゆえに「敵か味方か」という考えが心の中で大きくなり、ついには街中でちょっとぶつかられただけで突然キレるというヤバイ奴になってしまったんじゃないだろうか。

子供の頃、私達はアンパンマンを見ることで、この世に正義の味方と悪がいることを学ぶのだ。そしてゴレンジャーや仮面ライダーやウルトラマンを見て、打ち倒すべき敵がいることを、自分を大切にしてくれる仲間の大事さを学ぶのだ。その結果彼らの中の「敵か味方か」の優先度は高くなり、最終的にヤバイ奴になるのだ。

だって想像してみてよ。ワンピースのルフィが勘違いで自分を敵認定してきた時のことを。きっと物凄くたちが悪いよ。もう全然こっちの話聞かずに「俺はお前をぶっ飛ばす!!」とかいって理不尽な暴力をふるってくるよ。ドラゴンボールの悟空とかが勘違いで自分を敵認定してきた時も、きっとたちが悪いよ。こっちが「ちがうんです。ちょっとぶつかっただけなんです」って頑張って説明しようとしてるのに、かめはめ派ぶっぱなしてくるよ。

じゃあ私達多くの人も子供の頃にアンパンマンやゴレンジャーに触れているのに、なぜ突然キレるヤバイ奴にならなかったのか。なぜなら私達はきちんとヒネくれたからだと思う。私達は「世界ってそんな単純に割り切れるもんじゃないよね」ってちゃんとヒネくれた目を持って世界を見る目を養ったからこそ、ヤバイ奴にならずに済んだのだ。

というわけで「自分は正義の味方だ」と自称している奴は大体ヤバイやつだよ。だってこいつは他人との関係性を「敵か味方か」で定義しているんだもの。自己を正義と定義した途端、どこかに悪が現れるんだよ。そいつの中で。こいつは見えない敵と戦ってるんだよ。

だから「正義の国」を自称しているアメリカとかめっちゃヤバイ奴じゃん。世界中に敵を見つけて戦ってる。いまアメリカと戦っている敵の中には、多分もともと敵じゃなかった通りすがりのただの他人もいたはずなのに。

「アメリカは悪、真の正義の国は私」って言っている中国とかロシアもなかなかにヤバイ。っていうか大国だけじゃなくて、どこかとの関係性を「敵か味方か」で定義している奴らは全員ヤバイ。ネット右翼の「中国・韓国は敵」とか言っている人もヤバイ。この人は「中国・韓国は敵」という認識でいるから、中国・韓国を攻撃しているのだ。

ネット右翼の人に子供の頃、世界地図を見た時のことを思い出して欲しいんだけど「へー、隣に中国とか韓国っていう国があるんだー」で終わっていたはずなんだ。攻撃する理由がなかった。だって敵じゃないんだもの。ただの他人だもの。

左翼の「戦争反対。私達こそが正義」という考えもヤバイ。「私達は正義の味方だ。だから悪である警察や自衛隊を攻撃していいのだ」と、その昔、警察や自衛隊と暴力闘争をしていた。

こいつら皆、「自分は正義の味方だ」って自称しだした途端、ヤバイ奴らになったのだ。光あるところに影があり、正義あるところに悪ありなのだ。光なければ影はなく、正義なければ悪もないのだ。

だって実際、ちょっとぶつかってきたどこかの誰かはあなたの敵じゃないんだもの。その人が「ごめん」っていえばそれで済むし、別に「ごめん」って言われなくても、「あー、今日はちょっとついてないな」って思うだけでいいんだよ。だって誰もあなたの敵じゃないんだもの。

あなたがあなたの正義を主張しだした途端、あなたの正義に反する存在が突然悪として出現するのだ。あなたの中で。あなたはあなたが見たい世界を見ているのだ。つまり、正義を主張しているあなたは、悪がいる世界が見たいのだ。

正義を夢見るあなたは悪がいる世界が見たいのだ。平等を夢見るあなたは差別がある世界が見たいのだ。平和を夢見るあなたは戦争がある世界が見たいのだ。そして、お金持ちを夢見る私は貧乏がある世界が見たいのだ。私は悪だ。

このエントリーをはてなブックマークに追加