文学ファイター

びしょびしょの美女。

1000年に一人の美女問題

美女を表す表現に「◯年に一人の美女」というものがある。しかし断言しよう。これは悪手である。

確かに歴史上には世界を揺るがすほどの美女というのはいた。世界史上でも有名なクレオパトラや妲己が原因で戦争が起きたり国が乱れたりした。しかし!現代のお前らが言うその1000年に一人の美女は本当に1000年に一人レベルか?マジでか?橋本環奈が原因で世界経済が暗転したか?橋本環奈が原因で日中戦争が起こりそうか?甘利大臣は橋本環奈が原因で辞職したのか?マジで!?

違うんだ。橋本環奈を否定しているわけではないんだ。橋本環奈の可愛さを否定しているわけではないんだ。可愛さの表現方法を悪手としているんだ。

あなた達も実は分かっているはず。彼女の可愛さを表すのに年数を使用するのは悪手だと。私達は気づいているはず。「多分、『1000年に一人の美女』と表現される美女は今後も10年に一度レベルで現れるだろうな」ってことを。

ドラゴンボールというマンガをご存知だろうか?鳥山明さんが書いた世界的に有名な格闘漫画で、このマンガで初めてなされた画期的なことの一つが「『強さ』という曖昧なものを『数値』という明確なもので表現する」ということだ。この結果、ドラゴンボールで新しい強大な敵が現れる度に、その巨大な戦闘能力数値を見て、マンガを読んでいる子どもたちは「今度こそ主人公の悟空がやられるかもしれない」と、その恐怖に打ち震えるのだ。

しかし、この表現方法は「敵の強さを明確に表現できる」というメリットとともに、あるデメリットをもたらした。それが「新しい敵は、基本的に以前の敵よりも強くなければならない。つまり、戦闘能力を表す数値は常に上がり続けなければならない」ということだ。結果、強さのインフレが起きた。戦闘能力の数値が際限なく上がり続けたのだ。

「1000年に一人の美女」という表現も、この問題をはらんでいる。橋本環奈も、若い頃はアイドルでいられるが30代、40代になるともはや『アイドル』ではいられない。『タレント』や『女優』という立ち位置に落ち着くはずだ。その頃にはまた新しい話題のアイドルが現れるだろう。しかし、そのアイドルの可愛さを表す表現として、例えば「100年に一人の美女」は使えないだろう。これでは、「昔のアイドルよりも今のアイドルのほうが可愛くない」ということになってしまう。新しく現れるアイドルは常に以前のアイドルよりもより可愛くなければならない。そう、きっと年数は増えつづける。「2000年に一人の美女」「5000年に一人の美女」「1万年に一人の美女」「5万年に一人の美女」「一億年に一人の美女」……。

この表現が極限まで言った時の、女性の美しさを表す最高の褒め言葉をあなたには想像できるだろうか?「無限年に一人の美女」?違う。それは素人考えだ。きっと、未来の世界で真に女性の美しさを表す表現として使われるのはこれだ。

「普通に可愛い」

そう。一周まわって「普通に可愛い」が一番の褒め言葉になるのだ。過剰表現は陳腐化するのだ。

しかし、日本語を使用する私達日本人にとって「普通に可愛い」が、最も可愛いことを意味する日本語、というのは好ましい事態であろうか?否。これは日本語の表現力の死である。

では、何が問題か?数値だ。数値を使ってしまうことが悪手なのだ。数値を使うことでインフレが起きてしまうのだ。数値を使わずとも、人間はそのものの素晴らしさを表現する力を持っている。

日本語の過激表現に「口の中に手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタいわせたろか!」がある。このフレーズの凄いところは意味がわからないのに、とりあえず凄いことは分かる、ということだ。そう、日本語は数値を使わずとも、そのものの素晴らしさを表現できるのだ。

「その者、蒼き衣をまといて金色の野に降りたつ美女」。ほら。美女さ加減が分かる。

「彼女のためなら、全裸で学校に行ける」。ほら。美女さ加減が分かる。

「橋本環奈が好きすぎて、一時期パソコンのログインパスワードを『84motokan7』にしてた」。ほら、私の橋本環奈への愛の深さが分かる。

あ、ちなみに最後のは嘘です。本当は『84moto*kan7!!』です。破られにくいようにパスワードに記号を使うのは常識です。

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