文学ファイター

そもそもこのガルニモのサイトを作ったときは「私の正体がバレてもいいそこそこ健全なサイトにしよう」と思ってたのに、どこで間違えたんだろう……。

今日から出来る反戦運動

こんにちは。最近世界がきな臭くなってきている。これはいつか日本は戦争に巻き込まれるかもしれない。というわけで、気軽に出来る反戦運動というのを考えてみた。

最近、お年寄りの方々が「最近の日本は、昔の戦争直前の日本と雰囲気が似てきている」とよくテレビでおっしゃっている。で、もちろん戦争を経験していない私たちは「へー、そうなのかなぁ」と思うけど、まあ、たしかにちょっと前に比べて雰囲気悪いよね。

お年寄りが言うには「昔、戦争が始まる前から戦争に至る過程で、日本は段々と言論の自由がなくなっていった」らしいんですよ。確かに、最近日本の言論の自由がなくなってきてるんだよね。え?「そんな認識ないけど?」ですって?

例えば私がここで「中国のほうが日本より正しい主張してる!」とか「韓国大好き!」とか言う主張をしたり、街中で誰かれ構わず言ってたりすると、多分、右翼の方にめっちゃ絡まれる。攻撃される。ほら、言論の自由無いじゃん。

上は左翼から見た例だけど、逆に右翼から見た言論の自由のない例として私の小さい頃、「日本を愛してる!」って言う主張をする人は異常者に見られた。というわけで、実は私の小さい頃の一見平和に見える日本でも、やっぱり言論の自由は無かったのだ。

で、やっぱり言論の自由の最大の危機、っていうのは右翼とか左翼とかじゃなくて「現政権への批判が出来ない」って言うことだと思う。現政権への批判さえ出来ない状況になったら、多分日本は戦争へ突き進む。

というわけで、気軽に出来る反戦運動として、ブログやtwitterの最後に、簡単な政権への一言批判を書くようにすればいいと思うんだよね。「バカ安倍」とか「アホ安倍」とか。「今日はいい天気でした。それじゃ、バイバイ。アホ安倍。」みたいに。で、もしこの悪口が禁止されたら、それは「言論の自由が封殺された時」=「状況がヤバい時」だよね。

ただ、問題はどんな悪口がいいか、ってことだよ。例えば上記だと分かりやすいように「バカ安倍」「アホ安倍」みたいにしてみたけど、子供じゃないんだし、この悪口はないわ。しかも、なんかこの悪口は言ってる方もなんか気分悪いわ。安倍さんに申し訳ない。私もここで謝っとくわ。安倍さん、例としてバカとかアホとか言ってしまい、ごめんなさい。

で、マジメに考えてみたんだけど、やっぱり悪口として「おっぱい」がいいと思う。「おっぱい」って愛と平和の象徴じゃん?しかも男にも女にもおっぱいあるから、日本の首相が女性になっても使えるし。で、なによりおっぱいって正義じゃん。……え?違うの?ちょっと待って。お前、正義をなんだと思ってるの?

例えば日本って正義だっけ?古くは朝鮮や中国に侵攻しようとしたり、最近だとアメリカに追随してイラク戦争に賛成したけど、近年イラク戦争の正当性への批判がかなりあるよね。日本は正義なんかじゃない。

例えばアメリカって正義だっけ?世界で唯一実戦に核兵器を使用して、黒人差別をしていた国が?世界中に戦争をふっかけてる国が?アメリカは正義なんかじゃない。

例えば中国って正義だっけ?周辺国を自分より下に見下した「中華思想」のあの国が?自国の民衆を大量虐殺したあの国が?中国は正義なんかじゃない。

この論法を続けると、全ての国が正義なんかじゃないんだ。

じゃあ、文明の進化を受け入れない、未開の地の民族は正義なのだろうか?いいや、彼らが進化を受け入れなかったせいで、現在の科学医療で助かる彼らの子供たちの多くが死んだりしている。彼らは文明の進歩を受け入れるべきなのだ。彼らもまた正義ではないのだ。

これは何も国の話だけではない。例えば宗教はどうだろう?世界三大宗教はもちろん、他の小さな各宗教も、その歴史を紐解くと完全な正義と言い切れる宗教なんて無いんだ。血で血を洗う宗教戦争。他宗教信者への差別。無神論者への冒涜。例え同じ宗教を信じていても、神の言葉への見識の相違による争い。宗教は決して清廉潔白なものじゃない。

例えば我々個人はどうだろう?例えば私達は、今虐げられている人たちを無視して、のうのうと生きている。ISISに攻められている人たちを無視して会社や学校に行き、エボラ熱で苦しんでいる人たちを無視して、夜ベッドの中でぐっすりと眠っている。

小さいところでは、例えば私達は牛を殺して肉を食べている。鶏を殺して肉を食べている。この牛や鶏は、生まれた時から殺される運命で養鶏場や牧場で誕生するのだ。我々は正義ではない。

日本の有名な哲学者、野原ひろしのこんな言葉がある。「正義の反対はまた別の正義なんだ」。

これは甘いと思う。私から言わせれば「悪の反対はまた別の悪なんだ」。

もう綺麗事はやめよう。しっかりと認識しよう。私は、私達は、悪なのだ。全ての人が、国が、宗教が、世界が、生きとし生けるもの全てが悪なのだ。

――今、私の言葉を聞いて絶望の淵にいる君たちに問いたい。だが、おっぱいは正義ではないのか?

いや、言わなくても君たちの言葉は私に届いている。「おっぱいは正義だ」と。

「子供への母乳」「心臓の位置」「やわらかそう」。そう。おっぱいは正義だ。愛と平和の象徴だ。なんらいやらしい含意はない。え?最後のがいやらしい?いやらしいって言う奴がいやらしいんですぅー。

"世間で言う危険な宗教団体だと言われる宗教に入信していたが、熱心な信者である祖母が亡くなり、他の有名な宗教へ乗り換えた。だが、やっている中身は危険と言われている宗教と全く同じだった。唯一違っていたのは「(私が入っていた)○○教は危ないので気をつけよう」みたいなポスターがあったことだ。"みたいな話を聞いたことがある。

私の家族はそもそも特定の宗教に入っていないので、「危険な宗教をやめたんなら、そもそも何処かの宗教に入信するのもやめたら?」って思うのだが、やはり生まれた頃から宗教を信じる家庭に生まれたのなら「宗教に入らない」という選択肢はないのだろう。

だが、過激な宗教をやめて、普通の宗教に入って、結局中身の活動は何も変わらないのであれば、そこに正義は無いのではないか?そこに神はいないのではないか?それにそもそも絶対的な正しい宗教なんて無いのだ。

では何を信じればいいのか?答えは出ている。おっぱいだ。君が信じるべきはおっぱいだ。

例えば、あなたが胎児だった頃、母親のお腹の中で一番聞いていた音はなんだ?母親の鼓動だ。おっぱいだ。

例えば、あなたが赤ちゃんだった頃、一番最初に母親からもらう生命のプレゼントはなんだ?母乳だ。おっぱいだ。

例えば、あなたが何か人に言えない罪を犯した時、一番動揺するのはなんだ?鼓動だ。おっぱいだ。

例えば、あなたが勇気を出して正義のために普通の人には出来ない何かを成し遂げた時、高まるのはなんだ?鼓動だ。おっぱいだ。

例えばあなたが人生に迷った時、自分の鼓動に道を聞け。ただの胸の鼓動の高鳴りでも、あなた自身の鼓動なら、その鼓動の高鳴りが、罪への羞恥か、正義への勇気か、あなたには分かるはずだ。信じろ、おっぱいを。

例えばあなたがおっぱい以外の宗教を信じていた時、祭壇や神棚があなたの家にあったことだろう。あなたは、それが友達に見られるとき、少し嫌だったのではないだろうか?自分が変な目で見られるんじゃないかという恐怖があったのではないだろうか?これはおかしなことだ。あなたはその宗教を信じてるのに、その宗教の象徴である祭壇や神棚が友達の目に触れるのが嫌なら、やはりそれはどこか不自然なのだ。

だが、おっぱいを信じるなら、もはやあなたは祭壇や神棚を家に置く必要はないのだ。なぜなら、おっぱいは常に自身とともにある。家の中だけじゃなく、家の外でも、例えばあなたが宇宙飛行士になって宇宙に行ったとしても、おっぱいは君と一緒だ。

例えばあなたが自身が信じる宗教に関して友達に言う時、やはり少し勇気が必要だったりするのではないだろうか。

「私、キリスト教徒なんだよね」

「私、イスラム教徒なんだよね」

「私、仏教徒なんだよね」

これらの告白を聞いて、あなたの友達は、やはり少し驚いたような、困惑したような顔をしたのではないだろうか。宗教とは友達を少し驚かせたり、困惑したりさせるようなものなのだろうか。やはりこれは不自然だ。だが、次の言葉を聞いた時の友達の顔を想像して欲しい。

「私、おっぱいを信じてるんだよね」

もう目に浮かぶよね。友達は爆笑する。「なんだよ、それ(笑」って言う。きっと正しい宗教ってこういうものなんじゃないだろうか。

ではなぜ友達は爆笑したんだろう。なぜなら友達はおっぱいに害意や敵意や悪意を全く感じなかったからだ。そう、直感的に理解しているのだ。おっぱいは正義だと。

おっぱいを信じたければ、教義などいらない。神などいらない。正義は。悪は。自分の鼓動の高鳴りに聞け。あなたの全ての人生におっぱいは寄り添うだろう。もう一度言おう。おっぱいは正義だ。

ただ、確かに正式な反戦運動として私個人の思い込みである可能性を適用するわけにはいかない。そこで、「おっぱいは正義」が正しいか否かを公正に判断するために、近所の中学校の男子中学生100人に以下のようにアンケートをとってみた。

「あなたはおっぱいが正義だと知っていましたか?  A.知っていた B.今知った」

アンケートの結果、全員の男子中学生がおっぱいは正義だと知っていることが判明した。100人中100人。つまり、100パーセントの人類が「おっぱいは正義」と理解しているという事だ。

え?「100パーセントなんて統計学的にありえない?」。バカですか?今私、統計学の話とかしてないよ?正義の話してるんだよ?『これからの「正義」の話をしよう』としてるんだよ?NHKでもちょっと前にやってたじゃん。マイケル サンデルさんがアメリカ代表で、私が日本代表だよ?

統計学をかじってる皆さんに正義学の面から「100パーセント」がありえることを教えよう。皆マンガやアニメのこんな場面を見たことがあると思う。

最強の敵「バ、バカな……!!どこにまだこれ程の力が――!!」

わかりますか!?オッケー!?Do you understand!?最強の敵が「こいつの100パーセントは大体これくらいだな」って見積もった以上の力を正義の味方が出してるところですよ!!正義は100パーセントを超えるんですよ!!む!ということは、この数字が間違っているという統計学者の言は一理ある。こう訂正します。

「200パーセントの人類がおっぱいは正義だと知っている」!!

なんで200パーセントかって!?人間に!!おっぱいは!!2つあるからだよ!!

「我思う、故に我あり」という有名な哲学の言葉を知っているでしょうか?この言葉を言った哲学者デカルトが生きていた時代、数学という学問の分野で「証明」という分野が発展したんだ。皆も多分中学の数学で習うと思う。で、証明という分野では「そもそも証明するまでもなく誰の目からも明らかだよね」っていうものを「自明」と言うんだ。

実はデカルトはこの数学の「証明」「自明」という概念を哲学という学問に取り入れられないかと考えた。ただし「証明」という概念を哲学に取り入れるにはいくつかの「自明」が必要だった。数学では、もちろんいくらかの「自明」があったが、哲学と言えば、あらゆる可能性を含んだ学問なので「自明」なものなんて無かったんだ。で、デカルトは考えて考えて考えまくった結果、唯一見つけた哲学の自明が「我思う、故に我あり」だったんだ。

ただし、デカルトが発見したこの唯一の「自明」以外、哲学の分野で自明なものは見つかっていない。しかし、遂に私は新たな哲学の自明を見つけたのだ。

我思う、故に我あり。

おっぱいは正義。

哲学者の皆さんはこのふたつの自明を使って学問を発展させていただければ幸いだ。

ここまで書けば悪口に「おっぱい」を使うのに誰も異論は無いと思う。むしろおっぱいは悪口なんかじゃない。褒め言葉だ。「おっぱい安倍」。これで行こう。

なお、この反戦運動は別に日本に限定しない。アメリカ人なら「おっぱいオバマ」とすればいいし、中国人なら「おっぱい習」とすればいい。

この反戦運動のことを「おっぱい運動」と名付ける。

我々がブログやtwitterや契約書の末尾やレシートの末尾や逮捕状の末尾や遺言状の末尾に「おっぱい安倍」と書けなくなった時が、「今、この国は危ないな」という時だ。

そして、この反戦運動の最大の威力はすなわち「おっぱい運動にも関わらず戦争を起こした場合、のちの歴史に残るその戦争の通称は『おっぱい戦争』になる」ということだ。

すなわち、例えば日本の安倍さんと中国の習さんが、お互いの国のおっぱい運動にもかかわらず戦争を起こした場合、のちの歴史には「おっぱい戦争を起こした安倍と習」と残るのだ。これは嫌だ。未来人に受験対策のために「おっぱい」と「安倍」と「習」というキーワードで覚えやすい語呂を作られるのだ。絶対未来人に安倍さんと習さんはBLにされたり女体化されたりするのだ。つまり、安倍さんと習さんに、戦争を忌避するインセンティブが生まれるのだ。誰だって、後の世代に「おっぱい戦争を起こした人」と言われたくないし、BLにされたくないし、女体化だって嫌だ。

ヘタをすれば第三次世界大戦の通称がおっぱい戦争になったりするのだ。世界中の首相、大統領、国家主席がBLや女体化されたりするのだ。未来のドキュメンタリー番組ではナレーターが冷静な言葉で「おっぱい戦争」というキーワードを発言するのだ。

世界中で「おっぱい運動」が推進された時に、世界中のエライ人が「おっぱい戦争を起こした人」と言われたくないがために、戦争を避け、平和への努力をする。これが、一見馬鹿らしい運動に見えて、実は強力なパワーを秘めている「おっぱい運動」なのだ。

戦争をこの世からなくすのは「国連」ではない。「宗教」でもない。「おっぱい」だ。

例えば私達がブログやtwitterの末尾に反戦の意志として「私は国連の理念に賛成します」と書けるだろうか?書けないよね?だってこれ文章として重いよ。

例えば私達がブログやtwitterの末尾に反戦の意志として「神は争いを好まない」と書けるだろうか?書けないよね?だってこれ文章として重いよ。

例えば私達がブログやtwitterの末尾に反戦の意志として「おっぱい安倍」と書けるだろうか?書けないよね?だってこれ文章として恥ずかしいよ。

いやでもちょっと待ってよ!!上3つからどれか選べってなったら、おっぱい安倍だよ。あんまり堂々と世界平和を訴えるのは気恥ずかしいけど、ちょっとふざけているようで実はマジメに反戦を訴えているという、シャイな日本人にピッタリの反戦運動じゃないか。あれだよ、ギャップだよ!!メガネかけててブスだけど、メガネ取ると超カッコいいっていう例のあれだよ!!長髪で顔を隠して暗そうだけど、髪を後ろに束ねると超カワイイっていう例のあれだよ!!「おっぱい安倍」っていつもふざけているけど、その裏でいつも世界平和を願っているっていう例のアレだよ!!

我々には何がある?我々にはおっぱいがある。我々が敵としている彼らには何がある?我々が敵としている彼らにはおっぱいがある。おっぱいは正義か?おっぱいは正義だ。我々は敵の心臓に刃を立てることは出来ない。なぜなら、そこにおっぱい(正義)があるからだ。敵は我々の心臓に刃を立てることは出来ない。なぜなら、そこにおっぱい(正義)があるからだ。我々が世界平和のために出来ることはなんだ?おっぱい運動だ。

人類の未来は今切り開かれた。ともに叫ぼう、おっぱいを。ともに戦おう、おっぱいと。私達には未来が見える。想像してごらん。そこに天国や地獄なんて無い。そこに国なんて無いし、殺す理由も死ぬ理由も無く、宗教も無いのだ。そこにはただ、平和とおっぱいの世界が……。Love oppai. Belive oppai. Oppai forever.(おっぱいを愛しろ。おっぱいを信じろ。おっぱいは永遠――。)おっぱい安倍。

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