文学ファイター

良い子「貴様の望みは叶えてやろう」

社会に望まれている人

みんな!元気かな!?私はあいかわらず恋に仕事に大忙しです!嘘です。

そこそこの年齢になると、自分が小さい頃見た日本と、今の日本って変わったなーっていう瞬間があると思うんですよね。

私が小さい頃、幼稚園児だったくらいにあった日本のニュースなんですけど、相撲部屋で稽古中に、若い力士が死んだんですね。

で、泣いている母親がテレビに映るんです。泣きながら謝っているんです。「すみません。うちの息子が簡単に死ぬような息子ですみません」って。

相撲部屋の親方もテレビに映るんですけど、見た感じ、あんまり反省していない……っていうか、全く反省していないんですよね。それどころか文句言っているんですよね。「困るんだよねー。あの程度の稽古で死なれちゃ。どうせ続けてても、力士になれなかったよ」的な事を言ってるんですね。

私は幼心に思いましたね。これが大人の世界!!こわい!僕は大人になったら死ぬ!!

私が幼い頃はまだネットもなかったし、日本の中にはまだ気合とか根性とかそういうのでなんでも出来る的な空気が蔓延していたんですよ。

今、日本でこんな事件が起こったらネットで「親方死ね」というキーワードが爆発すると思うんですよね。

ここら辺の記憶が遠因でしょうか。私は体育会系の人間が苦手です。そして、自分は絶対に体育会系的素養ゼロであると確信しています。

で、話はちょっと変わりますが、社会人になって思うのは、会社の優秀な人って、ちゃんと自分の所属する組織(今回の例で言えば会社)がもっと良くなるにはどうすればいいか、っていうのをきちんと考えてるんですよね。そこまで行かなくても、ちゃんと自分が所属する組織の事を「所属してるぞ」と意識している。

「営業の人とか飲み会ばっかり行ってバカじゃないか」とか思っている人がいるかもしれないけども、やっぱ営業は凄い。現状の会社の業績を数字で見てるから、自然会社(組織)全体のことを考えるし、よりよい会社(組織)にしようと、なにかしら行動してる。

営業の人は、実際に会社の業績を数字で見るからモロだけど、それ以外の部署の人も、管理職じゃなくても優秀な人って言うのは自分が所属する組織(部署単位だったり会社単位だったりはあるかもしれないけど)がより良くなるにはどうすれば良いか大なり小なり考えてる。組織とかどうでもいいやって思ってる優秀な人でも、やっぱり「自分が所属している組織はここがダメなんだよなー」っていう一家言がある。

で「自分が所属する組織のため」っていうのは多分に体育会系的な考え方だと思うんだよね。「自分が所属する部活を優勝に導くため」とか「自分が所属するチームをより強くするため」とか。

で、私は学生時代幽霊部員だったので社会人になってようやくその事に気がついたのですが、現在学生で、部活に所属している皆さんも思い当たることがあるのではないでしょうか?「あー、確かにうちの部長、チーム全体の事考えてるし、優秀だわ」って。

私も一応会社員として会社という組織に所属しているのですが、正直会社組織のことってどこか他人事なんですよね……。ごめんなさい。見栄をはりました。どこか他人事ではなく、正々堂々と正面から他人事なんですよね。で、言うまでもなく私は出来ない会社員なわけです。

私は今も個を犠牲にしてチームに貢献するという体育会系的な考えが嫌いですが、昔日本という小国が第一次大戦や第二次大戦であれ程大暴れできたのは日本全体が体育会系だったからではないでしょうか。

つまり、全員が自分が所属する「日本」という組織のために大なり小なり「日本組織」がどうすればより良くなるかを考え、どうすればより「日本組織」に貢献できるかを考えた。つまり「日本組織」にとって、日本人全体的に優秀な人間だったのではないでしょうか。だからあれほど大暴れできたのではないでしょうか。

漫画とかアニメとかでも主人公には大体仲間がいるんですよ。仲間の大切さを訴えているんですよ。そして、ピンチの時は仲間のために信じられない力を発揮するんですよ。この体育会系めが!!

営業とかモロ体育会系じゃ無いですか。で、実は社内の出来る人間って言うのも、大なり小なり体育会系的な要素を持っているんですよね。

個を犠牲にする体育会系は時に実際に人を殺すけど、力を発揮すればかなりのものになる。日本は段々と個人主義的な考え方が蔓延していってるけど、それは多分、日本という組織を弱体化させていってるんだよね。でも、かといって体育会系が正解とも言えないよね。幸せって何だろう?っていう話。

に見せかけて、ここから先、超個人的な話。

私は正々堂々と正面から会社(組織)の事を他人事だと思っている。というか、同僚とか友達に何か不幸な事が起こっても他人事だと思ってる。そして、例えば自分に何か不幸な事があったら、それは自分ごとであり、他人がそれ程深く関わってくるべき事ではないと思ってる。

つまり、私は素養的には超個人主義者なのだと思う。(決して「本当の友達を作れたことが無いんじゃないか」とか「友達がいないのが原因なんじゃないか」とかじゃないよ。断じて違うよ。多分)。

で、やはり会社で働いていると、優秀な人から生き方についてたしなめられる事がある。凄いね。仕事の事についてたしなめられるんじゃなくて、生き方についてたしなめられるからマジ、私という人間がどういう人間かが分かるね。

で、大体「こうあるべき」と言われて、私もそれが正しいと認識、納得できるのです。だって、彼らが言うのは社会的に正しくあるべき姿や正義の話を訴えてくるから、反論のしようもないの。こっちが無理やり反論するとするなら、「だって嫌だから」とかいう幼稚な理論でしか反論出来ないの。

ところで、私は小さい頃「良い子」でした。親の言うことをすべて素直に聞き、悪いことには近づかず、可能な限り模範的な生徒であろうとしました。少々変人でしたが、つまるところ「ちょっと変わってるけど良い子だよね」な子でした。

が、段々と良い子であることに疲れたので、大学時代に一旦「良い子」要素をかなぐり捨てました。その結果、私の性格から良い子が取り除かれ「今までいろいろな変人を見てきたけど、本当、見たこと無いタイプの変人だね」っていう要素を得ました。友達いなかったけど、生きるのが、かつてない程楽でした。

で、学生時代の変人生活を経ての社会人。久しぶりに他人とそれなりにきちんと関わって、私は段々とまたまともな人間になりつつあります。

で多分「良い子」っていうのは「周りの大人が期待する子供を演じてしまう」能力の事だと思うんですが、社会人になって上記のようなエッセイで「社会はきっとこういう人間を望んでいるんだろうなー。こういう人間を優秀と定義するんだろうなー」と気づくのは、きっと私の中の「良い子はこうあるべき感知センサー」が今も生きているのだと思います。「周りの大人」が「社会」に変わっただけで。

で、周りの優秀な人が私に言う訳ですよ。「もっと正しい生き方をしなよ」と。で、それが正しい事も知っていて、反論のしようがないけども、正直、今はかなり変人に見られる私だけど、昔私は実際にそういう人間だったことがあり、それに疲れて一旦止めたんだよ、と言われる度に思う訳です。言わないけど。

正直、社会的に正しい生き方っていうのは分かるけど、正しい生き方と、自分がやれる生き方、って必ずしもイコールじゃないんだよ。私が「良い子」であることに疲れたということは、私は本質的にはきっと良い子ではないのだよ。

私は会社員でそこそこ仕事が出来てるフリをして(本当はそんな出来てないけど)、そこそこ同僚とコミュニケーションを取れてるフリをして(正直本当は嫌われてると思う)、多分、正しくは社会人として次はそこそこ組織の事を考えてるフリをしないといけないのだと思う。

というか、私は根が真面目だから本当にちゃんと考えちゃったりするのだと思う。そして、きっと「良い子」な会社員になって、ストレスで気が狂うのだと思う。

あ、他人に興味が無いといっても、積極的に悪をなす人間でもありません。後輩いじめて「ぎゃはははは」とかしてないし、アリを踏み潰してニヤリと笑ったとかしません。でも、積極的に良い事もしないです。要するに人畜無害な人間なんです。

でも、会社という組織に所属している以上、いつまでも会社を他人事と考えてるのは良くないし、かといって「良い子な社会人」と言うのは疲れるし。

優秀な人は多分「良い子な社会人」だけど、それぞれストレス発散の方法も心得ているんでしょう。だから良い子でいられるんでしょう。私はストレス発散の方法とか知らないよ。

で、これはきっと要するに生き方が不器用なんだろうな。私は多分、高倉健なんだろうな。

ということは私は明日からモテモテだな。

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