文学ファイター

人格。

なぜ私は人と関わりたくないのか

昔、アメリカである実験が行われました。被験者は全員、囚人グループと看守グループに分かれて擬似的に囚人と看守の「マネ」を、牢獄を模した部屋で行うというものです。実験は一定期間行われるはずでしたが、中断されました。なぜなら、看守は看守になりきりすぎて囚人を当たり前の様に暴行し、対して囚人はあまりにも囚人になりきりすぎて、看守に抵抗する姿勢さえも示せなかったからです。

人間は、ある役割を与えられると、簡単にその役割に影響されて自らの人格にまで影響を及ぼすのです。

たまに若い女優さんや男優さんが「役をもらうとプライベートまでその役になりきりすぎちゃって(笑)」と、あたかも自分がプロだからみたいに自慢げに言うのですが、それは当たり前のことなのです。素人でさえ、何かの役を演じることになれば、プライベートまでその役になりきってしまうことでしょう。

「子供は褒めて育てよう」と言う標語がありますが、あれはあながち間違っていないと思うんですよ。たとえ我が子がどんなにバカでも「あなたは勉強だけは得意ね」と言いつづければその子供は「そうか。僕は勉強が得意なのか」と勘違いをして勉強しだして実際に頭が良くなるとか。「お前はリーダーシップがあるな」と言いつづければ「そうか。私はリーダーシップがあるのか」と勘違いして皆を率いるようになり、本当にリーダーシップを身につけるとか。

さて、私は会社では空気を読めない人間として知られていますが、違うんです。実は私はさらに空気の読めない人間になりたいんです。でも、人に気をつかっちゃって「さすがにこれ以上言うと引かれるな……」と、自分にブレーキをかけています。また「おそらく自分は人からこう思われているから、ここで○○と発言するのは自分のキャラにあっていない。だから○○と発言するのはやめよう」と、こういうときもブレーキをかけてしまうのです。

人と関わると、その人との関係性に置いて「ここでブレーキをかけておくか」と自分に限界点を設定してしまうのです。なぜだか知らないけど。だから嫌なんです。

例えば、きっと性格のいい人でも「あー。ここで思いっきり悪口言いまくりてー。でも、そうすると俺のキャラが壊れるー」とか、クールな人が「あー。あの子可哀想。なぐさめてあげたい!でも、それは私のキャラに会わない」とか、なんだかんだそういうことがあると思うんですよ。

それが嫌なんです。自分にブレーキかけたくない。常にマッハでいたい。そしてマッハで痛い発言を繰り返したい。真っ裸で。

あ。最後の真っ裸は嘘です。語呂が良かったから付け加えただけです。

論理の飛躍。

人間が何かの役を与えられると、その役を知らず知らずのうちに演じてしまう――というのは、実は人間以外にもあてはまるんじゃなかろうか。

つまり、猫は実は本気を出せば日本語が喋れるのだが、空気を読んで「にゃあ」としか言わないとか。

犬はその気になれば二足歩行ができるのだが、空気を読んで4本足で歩いているとか。

亀は本当は趣味はランニングだが、空気を読んで人前ではゆっくり歩いているとか。

魚は本当は泳ぎが苦手だが、空気を読んで一応泳いでみたりしてるとか。

そして、私は実は本気を出せば格好いいのですが、空気を読んでブスなフリをしているのです。きっと。

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