文学ファイター

文系/理系という括りは嫌いです。

理系よりも文系の方が給料が多くもらえる理由

理系よりも文系の方が給料が多くもらえる理由は、理系のほとんどの人が「技術職」につき、文系のほとんどの人が「営業職」につくからです。

つまり、正確に言えば「文系だから給料が多くもらえる」のではなく「営業だから給料が多くもらえる」のです。

なぜ営業だと給料が多くもらえるのでしょう?それは、技術職が「環境に対して商売をする」のに対し、営業は「人間に対して商売をする」からです。

例えばここに、ものすごく速く走る車Aと、Aほどでは無いにしても結構速く走る車Bがあるとします。

お客さんがもし「できるだけ速い車が欲しいな」と思っていたとすると、Aの車を購入するだろうと考えるのが普通ですが、そうは問屋がおろしません。実際にお客さんと交渉するのは営業の人であり、その車を買ってくれるかどうかはA車、B車それぞれの営業さんの手にかかっているからです。

例えばB車の営業の人がA車の営業よりも優れた営業さんであれば、お客さんは高い確率でB車の車を購入します。実際にB車がA車よりも速くなくてもいいんです。お客さんに「A車よりも速いなー」と思わせれば良いからです。

実際の速度なんて実はどうでもいいんです。お客さんにA車よりもB車の方が速いと思わせ、「お客さんが納得して購入し、満足してくれた」なら誰も損をしていません。A車の営業さんは可哀想ですが。

ちなみにこの例は極論です。実際には「速さだけでなく、燃費や乗り心地も基準値としてご購入を検討してみては?」とか「走る環境によってはA車が速かったりB車が速かったりします」とか色々営業の手はあるでしょう。

ここで言いたかったことは人が購入を検討するのに実際の性能のみを基準とするわけではないということです。

技術職の人は例えば車を作るとき「速度を速くしよう。なぜならそれは、それを使う人の移動時間を短縮できるからだ」と考えたとします。でもそれは移動時間という環境の改善であって、それに価値を置くかどうかは実際の購入者――つまり人間の好みに委ねられます。

例えば「この装置の騒音を抑えよう」と技術職の人が考えたとしても、それはやはり環境の改善であって、その装置を購入するかどうかはそれぞれの人間が好みで決めます。

「このプログラムを使えば業務が効率化するぞ」というのも職場環境の改善であって、それを導入するかどうかは人間が決めるのです。

上記の三つの例のものが実際に100%の性能を発揮するものだとしても、それを購入するかどうかを決めるのは「人間」であり、人間と直接交渉しているのが「営業職」なのです。

環境をどんなに改善しても「環境さん」はお金をくれません。どんなに粗悪品でも営業さんがお客さんに納得出来るように交渉すれば「人間さん」はお金をくれます。

例えば世の中が全て技術職の人間だらけになっても、きっとその技術を使って人々は生きていけるでしょう。

例えば世の中が全て営業職の人間だらけになったら、きっとどう畑を耕せば良いか?車は?電池は?家は?となって人々は生きていけないでしょう。

でも人と交渉してお金を得なければならないのなら、より上手く人と交渉し、より多く利益を出す営業さんが資本主義のこの世の中では必要不可欠なのです。だって、技術の人は「現金」という利益を出さないもの。

というわけで、特に営業の人が優れてるとか技術の人が優れているとかそういうことじゃないんだよ。だから自分が進みたい好きな道を選びなさい、っていう話。

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