文学ファイター

一人の真面目人間よりも、100人の変人を。

「外国旅行はやるべきだよ」派は「国内引きこもり」派の言い分も聞け

外国旅行。分かってるんだ。人生で一度は経験した方が良いんだろ?人生観変わるんだろ?世界が広がるんだろ?

分かってるんだ。多分、その国に行ってみればその国の本当の姿が分かるんだろ?いろいろ物の見方も変わるんだろ?

分かってるんだ。近代に日本を率いたリーダーたちは皆外国へ行って「このままじゃ日本はダメだ」と思っていろいろ改革したんだろ?外の文化を知ることができたからこそ、自国と他国の力の違いを認識できて、「うちの国は優れている」と自惚れていた日本に喝を入れたんだろ?

あぁ。分かっているよ。外国に一度は行ってみると良いという事は。でも、いいか?私には国内にひきこもる理由があるんだ。

まず第一に、外国が怖いんだ。アメリカ人って銃を持ってるんだろ?アフリカじゃあライオンに襲われるんだろ?

――あぁ、ごめん。冗談だ。本心を言うと、怖いんだ。「自分の知らない世界」っていう奴が。未知の世界が。

っていうか、個人的な事を言えば、「何か新しい事を始める」っていうのは、自分にとっては物凄くハードルが高いんだ。おっくうなのと面倒臭いのもあるけど、何より怖いんだ。「未知な物」っていうのは、考えているうちに「巨大な難敵」に思えてきてしまうんだ。

私は物凄く運動音痴で、昔からからっきしスポーツはダメなんだけど、実はちょっとボクシングを習いたいなと最近思ってみたりしているんだ。ネットで調べてみたりもした。「ここは良さそうだな」っていうジムもいろいろ見つけた。

でも、ここから先が進めないんだ。怖いから。自分みたいな弱そうな人間が行ったら笑われるんじゃないだろうか、とかボコボコにいじめられるんじゃないだろうか、とか思ってしまうんだ。多分、実際に行ってみたら、思ったほど怖い所じゃないだろう、っていうことは頭の中では分かっているんだ。でも、やっぱり怖いんだ。

っつーか、私は元々引きこもり体質なんだ。外でサッカーより家でテレビゲームなんだ。そして、人とのコミュニケーションっていうのに対して、物凄い面倒くささを感じるんだ。だから、学校で普通に遊ぶ友達はいたけど、「じゃぁ、家でも遊ぶか」って言われたら、ほとんど遊ばなかった。多分、高校以降は一回も家で遊んでないんじゃないか。

で、こう言う人間だから、もちろんコミュニケーション能力も低い。外で遊ぶ経験も少なかったから、世間……というか常識を知らない。そう、不完全人間の完成だ。

話がずれた。外国の話へ戻ろうか。外国へ行けば多様な価値観に触れられて、バランスの取れた物の見方が出来るというのは分かるんだ。

でもさ。多分、世界中の人間が全く気兼ねなく世界を旅するようになれば、文化の固有性が無くなると思うんだ。

大航海時代にヨーロッパの人々は世界を旅して、世界を「ヨーロッパ文化色」に染めていったけど、ヨーロッパ色に染められる前の国々には、きちんとその国のその国なりの文化というのがあったんだ。例えばアメリカ大陸のインディアンのアステカやインカの文化はヨーロッパ人によって滅ぼされたし、アフリカの文化もヨーロッパ人が破壊していった。

ヨーロッパ人にとって、世界は広がっただろう。中には「へー、こう言う文化の国もあるんだー」と思ったヨーロッパ人もいるかもしれない。でも、彼らは文化を破壊した。

「それと、現代の海外旅行とどういう関係があるんだ?」

現代のグローバリゼーションの世界では、世界のすべての文化が、世界のすべての文化に影響され、または影響を与えたりしているんだ。このままだと、やがて世界の文化は平準化、画一化されてしまうと思わないか?

ある時はすべての国をヨーロッパ文化一辺にしようとまで勢いのあったヨーロッパはある日逆にアメリカに文化の主導権を奪われ、世界は次はアメリカの文化一色に染まろうとした。でも、今度は日本の文化が凄いということになって、日本の文化一色になろうとしている。

文化の主導権が移り変わっていくうちに、だんだんとどこの国の文化でもない「世界の文化」とでもいうような文化が出てくると思わないか?そして、その「世界の文化」が他国のいろいろな文化を打ち消してしまうような気がしないか?

言うなれば、外国を色々と見て回る人は世界のバランサーになれると思うんだ。世界を客観的に見ることができる優れた人間になると思うんだ。

それに対して、日本なんて言う小さな島国で、一度も外国に出たことが無い人は、きっと偏りをもった考え方を持ってしまうだろう。「日本的に正しい考え方」という偏った考え方を。

でも、その偏りは「文化の元」じゃないか?そういう偏った人間が集まらなければ作れなかった文化や社会的風土がそこに出来るんじゃないか?

「偏り」は「個性」だ。「世界が一つ」は、「世界の文化が一つになること」じゃなくて「世界に多様性が許容されること」だと思うんだ。

ただ「世界は多様性を認めるべきだ」は僕の考えであって、それが世界の正解という訳じゃない。

例えば、日本みたいな美少女グラビアを許容する国を卑下する国もあるだろうし、階級社会が慄然と存在する国を悪とする国もあるだろうし、儀式のために人肉を捧げる部族も存在が許されるかどうかは分からない。

逆に、「世界の思想の画一化」により「平和が大事」という考えが一般化して世界から争いがなくなるというのも無きにしも非ず。

でも、バランスの取れた一つの大きな意見よりは、あらゆる文化や思想がピンからキリまであって、それぞれがそれぞれのやり方でやっている、というごった煮の方が、健全なあり方だと思うんだ。

私みたいな変人も、個性的(偏っていて)で人とは違う感じ方や考え方が出来る――つまり、個としての文化を持っているのだから存在価値はあると思うんだ。……多分ね。

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